イビチャオシムの死去に想う

20年来のJリーグファンは、先日のイビチャオシム氏の死去のニュースに色々な思いが去来したことでしょう。故人の残した言葉は、日本サッカーへの提言のみならず、人生や世界へのアフォリズムと愛情に満ちたものでした。

当時のガンバ大阪サポーターとしては、オシム(父の方)には勝てなかったなあという記憶が残っていいます。確か2003年の対戦では、それまでガンバはずっと3バックだったのに突然4バックで挑んで前半のうちに2点取られて、後半から3バックにして同点に追いついて引き分けて、「西野なにしたかってん」と思ったことがありました。

2005年のナビスコカップ決勝では、延長含め120分間0−0でしたが、お互いに守り合ったのではなくて攻め合った上でのスコアレスでしたので、非常にハラハラドキドキ感が強く、そして最後のPK戦では、ガンバ一人目で絶対的安心感のあった遠藤保仁のPKを千葉の立石に防がれ、結果敗戦となりました。今では良い思い出ですが、初タイトルがかかっていた当時は落胆しましたし、その後にはリーグ優勝目前で足踏みして33節の千葉戦でも逆転負けして首位転落。前にも増して落ち込んで帰宅したことを覚えています。

多分、2003年〜2006年にJ1クラブのサポーターだった人は、こんな感じの記憶があるでしょうし、その後の代表監督としての指揮も覚えているはずです。

個人的な好き嫌いで言うと、確実に好きな監督でした。彼が日本人に問うた「日本サッカーの日本化」という命題は、解決に向けて三歩進んで二歩下がりつつも、本当に少しずつではありますが進んでいると思います。

ただ、綺麗で完結した解答は今後も出ないでしょう。世界で進化し続けるサッカーに合わせて日本サッカーをグローバル化とローカライズし続けるしかないと思います。

私の好きな作家にイギリスのG・K・チェスタトンがいますが、なんとなく、イビチャオシムにはチェスタトンを重ねてみてしまいます。おそらく、私個人がああいった、知性に裏付けられた諧謔と比喩と箴言を口にする人のことが好きなのだと思います。

ヨーロッパ各地でも死去を悼むコメントが出ていますし、故人を偲ぶイベントが行われるようですが、日本でも追悼試合の構想があるとのニュースも見ました。それだけ、慕われる人でしたし、ただ単に名将というだけではない証でしょう。

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