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ソローの「森の生活」と、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」が見た未来

ヘンリー・デイヴィッド・ソローの名著「ウォールデン 森の生活」は、19世紀中頃のアメリカ合衆国で、著者が2年少しに渡って街を離れ、森の中の手作りの小屋で自給自足の生活をした記録です。生活のことだけではなくて、当時のアメリカにおける諸問題や、生き方・思想についても言及される哲学的な作品です。

モノを持たない暮らしに憧れるミニマリストのブログにもよく取り上げられましたが、そもそもあれはモノを少なくすることがメインのお話というよりも、当時のアメリカ東部の社会に対しての批判でしょう。もちろん、現代のミニマリストにも現代社会に対するアンチテーゼを提起している人がいますけれど、ソローの時代と現代を見比べるとミニマルな生き方にも大きな差があります。

あえて言うなら、物質社会の背景にあるアメリカ合衆国の商業主義・自由経済・民主主義に対して、そんなものがなくても普通に生きていけるという証しです。モノを持たなくても生きていける、というのは実際に所有物を減らすということよりも、所有物を減らす考えと真逆の思想や社会や文化に背を向けることです。

それこそ、隙あらば少しでも稼ごうというアフィリエイトブログを運営する向きとは真逆です。広告が貼られたブログで「ウォールデン 森の生活」が紹介されているのは、アメリカンジョークとしても笑えない部類でしょう。

ソローが当時の最先端の暮らしを拒否し、自給自足の暮らしを営む森に行ったのに、現代の最先端?のスマホやネットを満喫している人が参考にするというのも変な話です。

ソローのこの書が出版されたのは1854年です。日本では前年にペリー来航があり、この年に日米和親条約をアメリカと締結しました。アメリカではゴールドラッシュの終わり、南北戦争の少し前に当たります。

出版年は1854年ですが、実際に森で暮らしていたのは1845年から47年にかけてです。テキサスがアメリカ合衆国のものになった年であり、ひたすら西にフロンティアを拡大していた真っ只中でした。金を求めて目の色を変えた人が先を争ってカリフォルニアに向かう直前に、金を求める暮らしに背を向けたからこそ、この著書の価値は高まりました。

先住民への圧迫・弾圧は言うに及ばず、それ以外でも資本主義、自由民主主義の下でひたすら拡大していくアメリカという社会に対して、ソローがどのように考えていたかを示すのが先の名著ですが、その少し前に、フランスの思想家がアメリカ合衆国の社会に対してのこれまた歴史に残る名著を残しています。

フランスのトクヴィルが書いた「アメリカのデモクラシー」は19世紀前半におけるアメリカ合衆国の、村から国家までの政治体制、社会構造、文化経済に関しての一級品です。

アメリカ人がアメリカの体制を批判しようが称賛しようが、中にいる者として見えない部分があります。逆に、フランスから来たトクヴィルが冷徹な目で当時のアメリカを直視できたのは外部の者だったこともあるでしょう。

トクヴィルが見た、当時のヨーロッパよりも進んだ民主主義から、その先に待つ新聞が支配する多数派の数の暴力の時代を予想したのは慧眼としか言えません。そしてその数の暴力の時代というのは、トクヴィルが訪米した1831年から190年経った今でも、多くの民主主義国家の悩みになっているのは、人類の進化が遅々としている強烈な皮肉でしょう。

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