SNS時代における、KYである勇気の必要性

オフレコでの失言によって首相秘書官が更迭されることとなりました。それより前に話題になっていた、岸田総理の息子の問題がある意味かき消されましたが、だからと言って政権の救世主というわけでもなく、むしろ総理が付けた政権の傷を秘書官が広げてしまっているので、政権の支持率にとってはダメージでしかありません。

こういうオフレコでの舌禍は政治家やその周辺によってしばしば起こります。表ではこんなこと言わないけれど、オフレコだから発言して聞いている人に対してサービスするつもりもあるのでしょうけれど、言ったらアカンことはどこでも言ったらアカンのですよね。まあ、そのサービスした記者からたれ込まれて更迭されているのですからお笑いぐさではあるのですけれど。

日本では信条の自由は憲法で保障されています。だから、どんな信条であれ、自分の心の裡に留めている限りは、どんな考えでも問題になることはありません。しかし、それを口から出す、しかも首相秘書官という立場でマスメディアに対してであれば、完全なる自由は保障されません。思考が言葉となり、最終的には自分や政権の将来に悪影響を及ぼすことになったのは、自業自得としか言いようがありません。

マザーテレサの言葉と言われているものに、

思考に気をつけなさい、それは、いつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それは、いつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それは、いつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それは、いつか運命になるから。

というものがあります。実は彼女自身が創り出したものではないとも言われていますが、重要なのはそこではないでしょう。

今回のオフレコ騒動で言えば、オフレコというその場のノリで、軽い気持ちで自分の思考を言葉にしたことで、思考が更迭という運命にまで結びつきました。

その場のノリに任せるというのは、飲食チェーン店での不適切行為の拡散動画の問題でも同じです。一人で店に来て一人で動画撮りながらあんなことをする奴はいないわけで、一緒にテーブルに付いている友達や、動画を見せたいツレに対して、ネタになる動画を作って笑わせる、ノリが良い奴だと思われたいという欲望から、あんな騒動にまで発展しています。

一昔前に「KY」=「空気読めない」という言葉が流行りましたが、まさにその「KY」だと思われたくない、その場のノリに逆らいたくないという行動原理は、SNSが発展した現代では致命的です。

別に致命的でなくとも、KYである勇気、その場のノリに逆らって反対する勇気というのは、SNS時代での必要な資質なのでしょう。そうでなければ破滅する運命が待っています。

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