オリンピックの種目数・メダル数と役所の数の類似性

2022年の冬期北京オリンピックが閉幕しましたが、この後はパラリンピックが続きます。大会期間中はあれやこれやと様々な問題が沸き起こり、当事者となった選手や関係者にとっては大変な日々だったと思います。

かつてはオリンピックは夏季と冬季が同じ年に開催されていましたが、1994年のリレハンメル大会からは2年ごとに夏季と冬季が開催されるスケジュールでした。そのため、オリンピックを続けてみる感覚はしばらくありませんでしたが、コロナ禍により2020年東京オリンピックが1年延期となったために、夏季五輪の半年後に冬季五輪が行われる史上初のスケジュールになりました。

そんな北京オリンピックでしたが、日本の獲得メダル数は過去最多の18個となりました。日本選手団の全体としては概ね満足がいく結果だったのではないでしょうか。もちろん、思うような結果を残せなかった選手にとっては悔しいものだとは思います。

今回のメダル数が過去最多となりましたが、その原因としては選手・指導者、あるいは競技団体・スポンサーなどの後押しに加えて、競技数・種目数自体が増えたことも一因だったと思います。

もちろん、だから大したことないなどと言うつもりはありませんが、出場競技・種目数とメダル獲得数の割合で計算したら、今大会よりも成功だった大会もあるはずです。

冬季にしろ夏季にしろ、時代が進むにつれて競技数・種目数、並びにメダル数も参加選手数も増えてきています。野球が夏季五輪から外されたことは非常に稀なケースでした。

種目数を増やせば選手にとっては出場の可能性、メダル獲得の可能性が単純に増えるわけで、反対することはまずあり得ません。競技団体にとっても同様でしょうし、JOCなどの国内統一組織でも同じはずです。

一度増やした競技・種目はなかなか減らせません。当然ながらその対象の選手や競技団体は猛反対します。

だからと言って無制限に増やせるわけもなく、開催地・開催国の大会運営上の負担とトレードオフになります。野球・ソフトボールは専用の球場が必要となり、元々普及していない地域においては負担が大きかったから、五輪競技から外された経緯があります。

余程の理由、明らかな経費節減が示せない限りは減らすことは出来ないわけで、まるで官公庁のようです。

省庁再編が時折話題になり、20年に1度くらいの感覚で実施されますが、部署にしろ予算にしろ一度増やすとなかなか減らせません。

もちろん、必要があって増やしているとは思いますし、これまでには無かった新しい政策のために、これまでには無かった部署を作るのはおかしなことではありません。昔と比べて人口自体が増えているのなら、それに応じて部署や支所、役人の数が増えるのも自然なことです。

人口の変化に応じて増やす、という点はオリンピックの種目数でも似たようなものかも知れません。

オリンピックが始まった頃から比べて、世界の人口自体が大幅に増加していますし、経済発展に伴いスポーツに打ち込む人の数(いわゆるスポーツ人口)も大幅に増えてきたはずです。スポーツ人口が増えるにしたがい、それぞれの興味や特性に応じたスポーツの種目自体も増えたことを考えると、オリンピックの種目数が増えるのも当然と言えるでしょう。

ただ、オリンピックにしろ役所にしろ、際限なく増やしてはいけません。どこかで限界はあります。限界に到達したか、あるいは限界の方が下がってきて現状の理想的状態を押し下げ始めたときに、削減に踏み切れるかどうかが問題です。

オリンピックで言えば、競技数・種目数の限界を気にせず増やすとなったら、五輪開催に巨額を費やせる国(言い換えると、国民への富の再分配を気にしないような国)でしか開催できなくなります。そしてそれは五輪の理念と相容れなくなります。

役所・役人の数についても同様で、政府にしろ地方自治体にしろ、削減を実行出来るのは相当に追い込まれてからでしょう。削減される側が反対するのは当然の上、削減できるはずの政治家(国会議員・地方議員)も実行するには相当な負担があります。

オリンピックの開催費用がかさむにしても、豊かな国が勝手に開催してくれて、そこに参加者として加わることはできますが、役所の費用がかさんだとしたら誰も助けてはくれません。夕張市のようになったとしたら悲劇ではありますが、自治体の場合は一部の住民は他の地域に移動することは出来ます。ただ、国家の場合は悲劇は全国民のものとなることは覚悟しておくべきでしょう。

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