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文字情報のコピペ、画像情報のスクショからその先へ

今の若者は何でもスクリーンショットをとって共有し合っている、という話を聞きます。

こんな書き出しで始めている時点で、自分が時代についていけていないオッサンだと告白しているようなものですが、今のオッサン世代は物心ついたときからスマホをいじっている世代ではありません。10代や20代のある程度の年齢になってから、スマホではなくパソコンに触れてデジタル情報を作ってきた世代です。

パソコンで情報をやり取りするのは、メールにしろ掲示板にしろSNSにしろ、マウスとキーボードでの操作が前提です。そこでは自分がコピーして誰かに伝えたい内容を、マウスとキーボードによってコピーアンドペーストすることで、他人と共有することが出来ます。マウスならドラッグして右クリックしてコピーしてペースト、キーボードならカーソル位置からシフトキーを押しながら十字キーで選択してCtrl+cでコピーしてCtrl+vで終わりです。いちいちスクリーンショットを撮る必要はありません。

そもそもパソコンではスクリーンショットは結構面倒です。キー操作なりマウス操作なりで画面をキャプチャして、その画像をフォルダに保存して、そしてその画像を貼り付け、という作業は、たいていの場合、コピーアンドペーストよりも手間暇がかかります。

逆に、スマートフォン上ではコピペの方が面倒です。スクショはボタン操作だけで一瞬で出来る一方、小さい画面でタッチで文字を選択していくのはストレスがかかります。

スクリーンショットの便利さがコピペの不便さと、スマホにおいてはパソコンとひっくり返っているわけです。

コピペの場合、リンクをそのままクリックできたり、受け取る側の表示デバイス、画面サイズなどに応じて可変で表示されるメリットはあります。その一方で、コピー元での内容から改変されていてもすぐには気付けない可能性もあります。

逆に、スクショの場合は完全にただの画像ですので、そこからリンク経由で飛ぶことも出来ませんし、画像として表示するため受け取る側で見づらい可能性もあります。逆に、送信側が見たものそのままを相手に渡せる、いわば改変の可能性が少ないというメリットもあります。

これはそれぞれ良い悪いがあるというよりは、機械の特性によって望ましい手段が変わるということですし、人の好みもあると思います。

ただ、コピペの時は常に改変の意識があるように思います。気にしない人、100%信じる人もいるでしょうけれど、簡単に書き換えられるコピペは受け取る側にも意識をさせます。

一方でスクショの場合は画像を編集して改ざんするのはコピペほど楽ではありません。もちろん、最近はフォトショップに限らず、画像編集の容易さは向上し、また違和感も見る側に抱かせずにイジることも出来ます。ですので、信頼性の高いスクショを捏造できれば、コピペ以上に影響を与えることが出来ることになります。

結局は、コピペだろうとスクショだろうと、見たものをそのまま信じるな、という話に帰結してしまうのですが、そうはいっても人情として常に疑い続けるというのも難しいでしょう。

さらに今は短時間動画の時代でもあります。TikTokも含めて、今後もこの流行はそうそうすぐには廃れないでしょうし、コピペやスクショよりもさらに直感的・本能的な影響力があります。

動画の改変・改ざん・捏造というのは、当然ながら文字や画像を書き換えるよりも難易度が高くなります。ただ、出来ないわけではありません。特に今ではディープフェイクといわれる、AIを利用した動画偽造が簡単になりました。

これを用いれば、例えば大統領でも芸能人でも、社会的影響力が強い人がとんでもない暴言を吐いている映像を作り出すことも出来ます。

音声も必要ですが、それこそ今では人工的に作れますし加工も映像以上に簡単です。ノイズ混じりで元々音質が悪いように見せかければ、本人の声ではないことに気付くのがさらに難しくなります。

ディープフェイクがポルノだけで使われているのなら、被害者はその対象者だけですが(もちろんそれも重大な人権侵害ですが)、紛争地域やテロ、民族問題・宗教問題などで偽動画を悪用されたとしたら、それによる莫大な被害が出る恐れもあります。

技術が進歩すればディープフェイク動画を見破ることも可能になるでしょうけれど、進歩はディープフェイク側にも恩恵をもたらします。結局はイタチごっこになるだけでしょう。また、動画が拡散される前にフェイクであることを見破って再生が禁止されるのならともかく、拡散しきってからフェイクであるとどこかが公表したとしても今度はその主張自体が人々に信じてもらえないかも知れません。

フェイクニュースも同じですが、フェイクニュースがフェイクだと判明しても、そのニュースを信じ続ける人はそれなりに存在します。

まさに、「人は自分が信じたいものを信じる」ことの証明になりますが、ディープフェイク動画がそれに拍車をかけるようになるのでしょうか。

これからの世界を生きていく中で、文字情報と画像情報に加えて、動画も容易に信用してはいけない時代であることは、メディアリテラシーとして間違いなく必要な要素になるはずです。

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