行革担当から総理を狙う

河野太郎前防衛大臣は、菅新政権で行政改革担当大臣になりました。外務大臣、防衛大臣の次に就いた大臣職としては軽い感じもしますが、そもそも外務大臣の前にも行革相だったので、出戻ったとも言えます。

いずれはまた総裁選に出て総理の椅子を狙うのでしょう。むしろ次の政権を狙うために今は、財務や外務、あるいは党三役などの重く多忙な役職は嫌ったのかも知れません。

かつての中曽根康弘も、鈴木善幸政権において行政管理庁長官のポジションで行政改革に専念していました。それ以前には科技庁長官・運輸大臣・防衛庁長官・通産大臣と、自民党総務会長・幹事長を経験していました。70年代の自民党派閥争い、いわゆる三角大福中の派閥抗争は激しいものでしたが、最後に総理になった中曽根政権が最も長続きしたというのは、不思議と言うよりも他の派閥が戦いすぎて抗争力を減じていたからとも言えるでしょうか。

もちろん行革を担当したから次に総理になれるわけではありませんが、中曽根政権において電電公社・国鉄・専売公社の民営化が行われたように、官庁にも大きな関わりを持つことになります。

昔は総理になるには外相・蔵相や党三役の経験が必要と言われていましたが、菅総理もそれらの経験がありませんし、小泉元総理もありませんでした。彼らに比べれば一応は河野大臣も外相経験があるので、岸田・石破との戦いもあり得るでしょう。

新政権になった直後にその次の政権のことを書くのも鬼が笑うどころではないでしょうけれど、激職でもある総理総裁の地位を菅総理が長期間続けるのも難しいかも知れません。次というのは意外と早いかも知れません。

総理就任の勢いをかって衆院解散総選挙という噂というか観測気球もチラホラ見え始めてきましたが、その選挙結果は菅政権の寿命にも影響するでしょう。建前上は、来年夏の五輪と総選挙を重ねないため、という理屈がありますが、そんなことを本気で真に受ける人はあまりいないでしょうし、2012年の安倍総裁誕生から年末の総選挙大勝というシナリオをもう一度、という狙いもあるはずです。

春の地方自治体での選挙ではクラスター発生は無かったと思いますが、衆院選だと注目度も異なりますし、もしなにかあれば選挙で勝っても批判が集まるようなこともあるでしょう。

そうなると「菅下ろし」なんてこともあり得るかも知れません。内閣で重いポジションにいると総理批判なんてそうそう出来ませんが、状況や失政によっては河野行革相なら思いっきり批判しそうな気もします。

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