専門馬鹿・スペシャリストと器用貧乏・ゼネラリストのせめぎ合い

何かの事件や不祥事などで記者会見に出てくる人が専門的知識に乏しく、トンチンカンな質問や回答をしてしまい、Twitterやヤフコメで大炎上してしまうケースを見かけるようになりました。

記者会見をする側の人が批判されたのは、数年前のセブンペイの不正利用事件が会った時に、セブン側のお偉いさんが二段階認証に対して、「?」みたいなリアクションをしたことで、なんで不正利用事件で出てきた人間が二段階認証も知らないんだ、と言われました。

その一方で、先日のKDDI通信障害では、出来た社長や担当者の発表は良かったとネットユーザーから言われた一方で、記者側の質問(技術系ではなく一般メディア)が的外れだという非難もありました。

その数日前にあった尼崎市のUSBメモリー紛失事件では、尼崎市側の担当者がパスワードの文字種別と桁数を言ってしまう失態があり、相当に馬鹿にされました。

役所や大企業では、新人を色んな部署にローテーションしていって、一つの専門家をあまり作らないようにしています。もちろん、ある程度ローテーションした後は一つの部署での出世を目指すことになりますが、どうしてもゼネラリスト的になってしまいます。

多分、マスメディアでもそれは同じで、新人記者を政治部や社会部などをローテーションしていきます。もちろんその部署に行ってから猛勉強されるのでしょうけれど、専門誌の記者と比べると知識に差が出るのは当たり前です。

そうなると、何かの分野のスペシャリストとしての取材が出来なくなり、記者会見での質問も専門的な事から外れた内容になってしまうのはしょうがないことでしょう。

専門誌の記者の後ろにいる読者は知識がある人たちなので、専門的な事を聞くのは当然のことであるのと同じように、一般紙の記者の後ろにいる読者は詳しい知識が無いと考えないといけないので、一般人的目線での質問になるのも当然です。

ただ、国民の知る権利を代行しているなら、質問する側として必要な知識や見識は身に付けておかないといけないはずなんですけれど、知っていてわざと知らない人がしそうな質問をしているのか、そもそも知らなくて質問をしているのか、どっちなんでしょうね?

器用貧乏とまでは言わないまでも、ローテーション人事によって多くの人が幅広い知識を身に付けてゼネラリストになるのはもちろん大事なことなのでしょうけれど、スペシャリストを育てることもあっていいはずです。

専門馬鹿的なスペシャリストは使い回しできないから作りたくないという考えもあるでしょうし、役所や大企業ならスペシャルな知識は外部から雇えば良いという方針もあるのかも知れませんが。

もちろん、本当にスペシャルな人だって役所にも大企業にもいるはずですが、そういう人がトップにはなれず、ゼネラリストがトップに立つののもしようがないことなのでしょうかね。

みずほ銀行なんかはシステム部門生え抜きの人がトップに立つくらいにならんとダメなんじゃないかと、システム障害の度に感じますけれど、そんな未来は来るでしょうか?

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