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拙にとっての「鹿目まどか」

きっとどこかの誰かが同じことを言ったと思いますが、自分にとってどういう存在なのかを書き留めておきたいと思いました。


1.「良い子」

ママさんがまどかをそう評価していましたね、子どもとしては上出来だと。

実際まどかを一言で表現するならそれが最も適切だと思います。

本人も言ってましたが、「誰の役にも立たずに終わる自分が嫌だ」「誰かのためになれる自分になりたい」これが鹿目まどかを構成する最も大きな願望でしょう。

しかしお気づきでしょうか。

まどかは常に「誰かの為になりたい」ではなく「誰かの為になれる“自分”になりたい」と言うのです。

違いは瑣末なようで、大きすぎるものです。

例えるならば、美樹さやかが精神的に不安定になった事件で、まどかは別にさやかを救いたかったわけではなく、さやかを救える自分になりたかったということです。こんなこと他人にはわかるわけがありませんね。わかるとしたら長い付き合いのさやか本人ぐらいじゃないでしょうか。さやかがキレるのも無理はありません。


2.自己中心性

上記の事実を踏まえると見えてくるのが、まどかの自己中心性です。

そんなわけでまどかは常に「良い子」を演じては押し付けてきます。

「それはさやかちゃんの為にならないよ」「私魔女になりたくない」「魔法少女になってよかったって、そう思うんだ」「仲良くなれたらいいのに」

自分が誰かの為に戦える「良い子」である為なら、ほむらに罪を着せることも可哀想なさやかちゃんをよしよしすることも特に気にしません。振り返ると何もかもが自分の理念に忠実で打算的な少女です。

まどかは良い子を演じる為に「弱い自分」さえ演じていると思います。押しの強いさやかが守ってくれて、女の子として憧れる仁美の隣に平凡な女の子として立って、魔法少女と関わるようになってからもまどかは強くなれないのではなく、本当は強いのに守られる側に甘んじていた。さやかがキレるのも無理はありません。

とはいえ杏子の言う通り当時は「戦う理由」が無かったのも事実です。なにせ魔法少女になること(誰かの為に戦うこと)が願望なんですからね。

そもそも、アルまど化の時間軸までそれ以上の願望を持ったことがなかったはずです。

ほむらのループを知るまで。


3.神格化

ここまでボロクソに書いてきましたが、こういうまどかの負の要素を知る者は作中いるかどうかもわかりません。さやか辺りがワンチャンあるくらい。

もちろんですが、ほむらは知らないに決まっています。

ぶっちゃけた話ほむらは鹿目まどかを神格化していましたね。

出会いの時点で自分とは違うキラキラ魔法少女でしたし。出会いって本当に重要なんですよ。出会った当時の関係性はどれほど時間や歪みがあろうと記憶の中にあり続けるんですから。

第一、幾千のループの中で中心軸に据え続けたたった一人の存在はほむらの中で特別レベルを更新し続けていくはずですし、「私とは違うすごい人」って概念はまさに神格化としか言えないでしょう。

本当に皮肉な話ですが鹿目まどかを「神」にした直接の原因もほむらだし、宇宙の誰よりも鹿目まどかを「神」だと思っていたのもほむらなんだよなあ...


4.可愛いもの好き

この流れをぶった斬りますが、まどかは「可愛いもの好き」ですよね。

部屋とかも...たぶん可愛いものに囲まれていたし...

あとこれは拙が個人的に、仁美とかマミとか見ててなんとなく感じたことだけど、アニメの設定とか作画的にまどかは「可愛い女の子」ではなく「可愛いものが好きな女の子」として描かれているなーって。

もちろんマミも拗らせてるレベルで可愛いものが好きそうだけど、仁美は何もしなくても可愛らしい感があるじゃない。まどかが仁美に多少憧れを抱いてるのはそういうところもあるんじゃないかなと勝手に想像するんですよ。

決して本人が可愛い女の子なわけじゃなくて「可愛いもの好き!魔法少女なりたい!」って言ってる平凡な少女という塩梅が魅力だと思う。たぶん。いや拙はほむら推しなので...


あとがき

まどか推しが読んだら発狂して炎上しそうな記事を書いてしまった...

とはいえこの辺の考察って今後あんまり役に立たなさそうな気がするんですよね。あ、ワルプル映画とかの話ね。

だって叛逆後箱庭世界の中でも鹿目まどかの確かなデータを残しているのは今返した赤リボンだけじゃん...今後たぶん赤リボンがアルまどに消されたりして今度こそまどか個人の存在は消失、イブがういを求めたようにアルまどとまどかの肉体を奪い合う展開一択じゃないですか...

...その辺の考察もいつかまとめますね...

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