「やろうと思えばなんでもできる」の絶望

どうせ自慢に聞こえるだろうが、自分はやろうと思ってやったことは大抵なんでもできる人間だった。昔から。

できないことは特に何も思い当たらない。それが拙にとっての最大の絶望だった。


よくわからない人のために言い換えると、それは「いつかやろうと思えばなんでもできる」ということだ。

明日これをやろうと思えばできるのだろう。

明日がだめなら一年先までやり続ければできるのだろう。

いや、もしかしたら今ここで始めてもできるのかもしれない。

何もかも、何もかもだ。

それってつまらなくないか?とてもつまらない。

何もかも退屈なのだ。

きっとやり始めたら楽しい。一時的に熱中するかもしれない。

何もかもそうだと思う。

だからこそ退屈だった。

無限に可能性がありすぎて、自分が人生をかけてまで熱を入れたいものが何もない。

きっといろんな幸せがある。どれも魅力的な何かになる。

その中のどれかを選びたいと願う自分だけがいなかった。


もしもこの世界にどうあがいても倒せないラスボスや、自分を敵視しながら切磋琢磨してくれるライバルがいてくれたら、拙は生きられたのかもしれない。いや、生きたいと願えたのかもしれない。

何か絶対にできないことがあれば、見上げた壁に高い空を映せたかもしれない。

拙が生きるには、拙のいる場所はあまりにも高すぎたのかな。

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