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はて?夢がなきゃだめなの?

私は幼い頃からこれ!といった夢がありませんでした。
お花屋さんになりたいだとかプリンセスになりたいだとか、幼い頃に思い描くようなキラキラとした夢も持ったことがありません。
現実的にどういう職業に就くか考える歳になっても、大人になった今でもこういうことをして社会に貢献したいというのがありません。

私はただ自立し、働き、家族や友人との時間を大切にして、趣味の習い事を80歳や90歳、死ぬまで続けたい。
これだけで充分すぎるほどに幸せな生涯を送れる自信があります。


私はパーソナルトレーニングに通っているのですが、その担当の方がいかにもキラキラと快活な女性なのです。自分自身のやりたいことを自分の力で実現し、たくさんの方にもより良い人生を送ってもらいたいと考えているような方です。
私とは真逆のような方です。
想像でしかありませんがきっと彼女は細かく目標を立て、それを達成し、理想を実現にしてきたのだと思います。
それに対して私は、漠然と死ぬまでにこうなっていたい、死ぬまでこういたい、という目標に対して今の最善を考え精一杯生きようと思っています。

そんな中で彼女に、仕事でもプライベートでもこうなりたいという夢はありますか、例えば舞台女優になりたいとか、と聞かれたのです。
私は彼女の言うようなビッグな夢などはないので、ただ趣味の習い事を死ぬまで続けられる環境にいることができればそれで充分ですと答えました。
すると彼女は、今の子ってそういう子多いよね、何をしたいのか分からない、夢がないって子増えてるよね、と。


はて?
なぜそんなビッグな夢がないといけないというような口ぶりで話しているのでしょうか。
私はそれだけで充分幸せに生きていける。そして現に私はそれで充分幸せを感じているのです。

確かに私には自分の意思というものがあまりありません。それを責められる時に苦しく感じることはありますが、自分自身でそのことに不便だと感じることはありません。共感力が高く変幻自在に形を変えることができる。寧ろそこが私の魅力だと自負しています。

就職活動や面接などで、どうなりたい?夢は?と聞こえの良い理想を語らなくてはいけない場面があります。
あるに越したことはないと言うのは分かります。夢を持つことは素晴らしいですし、夢に向かって頑張っている方達を素敵だなと、ぜひ叶えて、思い描いた以上の景色を見られたらいいなと思います。

ですがそれは必ずしも持っていないといけないものなのでしょうか?
やりたいことがない、分からないということを悲観する必要はない。私はそれをいけないことだとする社会に、はて?という気持ちです。
ただ懸命に目の前のことを慎ましくこなしていく。そんな中で幸せを感じられていたら100点満点な人生ではないでしょうか。

そうしているうちにビッグな夢が見つかっているかもしれないですしね。

私はただのんびりと穏やかに生きていきたいのです。


多様性という便利な言葉が飛び交う社会になりましたが、今回私が、はて?と思ったこの出来事も多様性として、理解されなくとも受け入れられたらいいなと思いました。

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