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卵をとった日

「まずは洗浄していきますね、器具が入るのでひやっとしますよー」

私は手術台の上に居て、左右の脚は開いた状態でベルトで固定されている。左腕には血圧計、右指先には酸素濃度を測るやつなのか?が付けられ、一定の間隔でピッピッと音を出し、現場にリズムを与える。殺風景な天井を見つめながら、安全は整えられていることを察知する。

「大丈夫ですか?ご気分悪くないですか?」
「はい!大丈夫です!」
手術室で下半身裸で足をおっぴろげるとき、理性は休憩室に置いてきております!それでなくても通院の度にある内診、パンツ脱いだ状態でばっちり明るい蛍光灯の下で待たされる時間や、老や若の男性医師が手にしたエコー器具が体内に入る瞬間には完全に理性をOFFにするという感覚が身に付いておりますので私は!とかなんとか御託を並べて、心の中の小さい私が泣きべそを掻いたり駄々をこねぬよう心身の表側を取り繕う。
とにかく私にできるのは、卵胞へと続くトンネルを目の前の医師を信じて差し出すことのみ。あるのは「さあ!どうぞ!よろしく!お願いします!」という心意気のみ。

左にいる看護師さんが手を握ってくれて、肩のあたりをさすさすしてくれて、それは看護師業務として患者に安心感を与えるためにやるんだよと看護学生時代から教えられてきたのだろうなと想像したり、他人だけどこういうときの女のボディタッチは安心するもんやなとその効果を実感したりする。

かく言う私は、採卵は初めてではなく3度目である。これまでは静脈麻酔でやってもらったため眠った状態で気がついたら終了という感じだった。
起きて我が目で生々しい採卵の現場を見るのは初めてということである。今回も静脈麻酔を希望したけれど、年齢ゆえか採取できる卵胞が少ないことから医師のすすめで局部麻酔となった。痛い可能性を恐れてはいたが、麻酔の針も、卵をとる管の針も鈍い痛みという感じで、それはひどい生理痛などと比べるとマシなもので、深呼吸で気を逸らすことのできるレベルやね!と心でツイートし安堵したものの、人の手によってもたらされるトンネル入口から下腹部の違和感や金属器具の音には、きっとこの先も慣れることのない怖さがあった。

右側の画面にエコーで私の内部が映し出され、それを見ながら待っている。【私の内部】といっても、素人には上下左右前後もわからず、漠然とその画像を視覚で捉えているだけだ。もやもやとした白黒の中に、明らかに丸い影が3つほど見えた。画像上はただの黒いまん丸だがそれはもう宝のごとし。今日はこれを、取りに来たのだ。よかった、、あった、、、。
吸引法という名の通り、管で吸い取られていく卵たち。これをいったん体外に出して、人の手で培養室に運ばれ、夫の精子と組み合わせ、そしてまた私の体内に移植するわけだ。集中する医師、見守る培養士、さする看護師に囲まれてトンネルを開放する私。この職種を選びこの仕事に従事しているスタッフの方々に感謝の気持ちが溢れるとともに、
正直な、

「わし、ここまでやらなあかんか!」


という気持ちを抑えることができず、右目から一粒だけ涙が出た。

術後はなんとなくおぼつかない足で、看護師に連れられ休憩室へ戻った。リカバリールームと呼ばれるその休憩室は、カーテンで仕切られた1.5畳ほどの空間に幅狭なベッドと衣類を入れるカゴ、鍵付きの小さなチェストだけがある。誰とも顔を合わさず横になることのできる必要十分さへの有難い気持ちに、誰とも顔を合わさず横になるためだけのマジで最低限の設備に今寝かされているんですねという切なさを添えて、体と心を休めたくて目を閉じた。

静脈麻酔に比べリスク低めの局部麻酔のため、2、30分ほど横になって気分悪くなければ着替えて待合室に戻っていいとのことだった。着替えてフロア内にあるトイレに向かってドアをあけると、同じく術後の女性が便器に座っていた。「あ!ごめんなさい」と私。「わ!すいません!」と彼女。採卵後にボーッとして鍵をかけ忘れていたらしい。みんな、頑張っている。

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その後内診で子宮内の出血状態をチェックし、診察室で「取れた卵は3つです」と教えてもらい、会計をして終了。
36歳のときの採卵では7つだったので比べると少なさに心許無い気もするが、取り上げてもらったこの3つを信じて、うまく受精することを願う。

毎晩ホルモン注射を打ち、少し気持ち悪くなる薬を飲み続け挑んだ採卵周期はひと段落だが、妊娠を目指す過程としては始まったばかりと言いますか、いやまだスタートラインにすら立ってないのではないかという気分でもある。次の診察で3つの卵がいずれもうまく受精できなかったと言われることを少し想定しておかないと、立ち上がれないため予防線を張ることも忘れない。

でも一旦自分を労りたい。本当にお疲れさまね。




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