結果良い人なだけ

良いやつだよなー、とよく言われる。
とても嬉しい褒め言葉だ。

褒められて決して悪い気はしないが、違うんだと言いたくなる。

例えば先日、街中で具合が悪くてしゃがみこんだ女の子に声をかけて飲み物を買ったことに対して友達から「いいやつかよー。」と言われた。

なんだか照れくさくて「そんなことないよー」って返したのだが
大いに勘違いされている。

そのしゃがみこんでいる女の子がものすごいギャルだった。
私は、手負いのギャルに接してみたかったんだ。

ギャルって怖いイメージあって近寄りがたいけど話してみたいと思っていた。
とはいえ常日頃から体調不良のギャルを遭遇したいと思っていたわけでなく
具合が悪そうな人をみかけて放っておくと後味が悪いので声をかけたらたまたまギャルだったってだけだ。

次世代に語り継ぎたいことわざのような言葉だな。
「手負いのギャル」
意味は、普段畏怖して接することができないギャルが傷を負い弱弱しい様。


そう、後味が悪いだけなんだ。
人の命に関わりかねないようなことを放った後に、「あれどうなったんだろう」を頭の隅に心配事として残ってしまうのが嫌なんだ。

それが何日も気になることだってある。

のちの自分のどうしようもないストレスを防ぐためだけに声をかけた結果、良い人なだけでみんなが思うほど良い人じゃないんだ。
でも良い人だとは思われたいのでこのままでいい。

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