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弔辞

私は、私の書く文章が好きだ。
特に何かを伝えるときの文章は、言葉が正しい質量を持つように作る。

だから、先日の祖父の葬式で読んだ弔辞が私はとても気に入っていて
3週間経った今でさえ、なんのメモを見ることなく言える。

それほどにまで、自分の感情を質量正しく表現できた文章だったので
ここに記したい。



祖父の葬儀にあたり、ここに謹んで哀悼の意を捧げます。
いつかこんな日が来ると覚悟していましたが突然の訃報でまだ実感は沸きません。
おじいちゃんは穏やかで優しく、あまり多くを語らない分言葉に想いを込める人でした。
この弔辞を書くに当たり生前のおじいちゃんの姿を思い出しました。

作業着で畑仕事する姿、たくさんご飯を食べる姿、テレビにイヤホンを挿して日曜日のクイズ番組を見る姿。
特別な姿ではありませんが、何気無い生活の一部は大切なものだったと改めて気付きます。
もうこの姿を見ることも、「会いにいく」ということもできないことを思うと「悲しい」だけでは表現しきれない気持ちになります。

いつかこんな日が来ると覚悟していたはずなのに
「会う」ということもできなくなって初めて
「もっと会いに行けばよかった」と後悔しています。

もし、次の日にお別れすると分かっていて1日だけ会うことができるのであれば、目を見て気持ちを伝えたいです。会話がしたいです。

だけど私は、伝えたい想いが胸いっぱいにある時
言葉なんかじゃ表現しきれないから伝わらない、と思って言わないことがあります。
「今度会った時に言えばいっか」と先延ばしにもします。
遅くなりましたが今、お礼を言わせていただきます。

今まで本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。




きっとこの文章は
たまたまきっかけが葬式だっただけで
いずれは書くものだったんだろうと思う。

それほどまでに、この弔辞には私の感情が詰まっていて
誰しもが共感しうることだったから。

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