息子の誕生
2023年7月21日、計画無痛分娩で息子を出産した。
計画っていうんだから前々に予定が決まると思ってもちいたし、無痛っていうんだから痛くないって思っていた。
私は咄嗟の対応力や即時の判断に自信がない。宇宙飛行士やパイロットの適性検査を受けたら、真っ先に帰されるだろう。
そんな私にとって、いつ来るか分からない陣痛や破水は恐怖だ。ぜひとも予め決められた日に大手をふって入院したいという思いから計画無痛分娩を選んだ。(痛くない方がもちろんいいし)
その選択は間違ってなかったと思うが、「今日の夕方に入院して明日産みましょう」というパターンがあるなんて!
私の入院が決まったのは出産前日、37週5日の健診だ。翌日にしばらく行けないはずの美容院を予約していたので、泣く泣くキャンセルしての入院だった。
数多の出産レポを読み漁ったからだろうか、出産への恐怖はなく、一度家に帰り、友人とお茶をし、入院の準備をし、夫とトンカツを食べて病院に向かった。
お産は翌日7時半から始まり、息子は16時16分に誕生した。無痛分娩の甲斐あり、お産という感じがしてきたのは13時半くらいからだったと思う。
陣痛は麻酔が消してくれたが、骨盤が開く痛み
は通常の麻酔では効かず、強い麻酔が必要だった。
「十分に麻酔を打っているから痛くない。圧迫感を痛みに変換しちゃうタイプだね」という院長の言葉を信じて、「痛いのは錯覚、これは気のせい」と頭で唱えてみたが、痛いものは痛い。
最終的には上半身近くまで感覚なくなるくらい麻酔を打ってもらった。(もちろん吐いた)
麻酔を足してもらいながら、子宮は順調に開いていったけど、全開になってから赤ちゃんがちっとも降りてこない。最終的には吸引、鉗子と院長が力技で赤ちゃんを引っ張り出す形での出産となった。
出て来たときには赤ちゃんも疲れ果てていたので、元気な産声などは聞けなかった。
それでも院長が「大丈夫、元気だよ」と繰り返し伝えてくれたので、心配はしなかった。一瞬だけ胸に置かれた我が子は鉗子の跡もくっきりだし、吸引で頭も長いしで、かわいいと思う姿ではなかったけれど、精魂尽き果ててぐったりしている姿に「お互いよく頑張ったよな‥!」とグッと抱擁交わしたくなる連帯感を覚えた。(私も満身創痍で顔も髪もぐしゃぐしゃだった)
全ての処理が終わった後、院長からは「頭大きいし、出血多いし、大変だったね。無痛でよかったでしょ」と誇らしげに言われたけど、思わず「いや‥!」と否定したくなるくらいには辛かった。
産後は麻酔と貧血で、震えが止まらず意識が朦朧としていたけど、付き添ってくれた夫が「疲れた」と言いかけて、「疲れたね」と言い直したことだけ覚えている。自分の気持ちを遠慮なく言う人なだけに、言い淀むのは珍しい。なんだかおかしくて、付き添う人だって大変だし、疲れたって言っていいよという思いを込めて「いや、疲れたよねえ」と返事をしたが、伝わったかはわからない。
結局その後しばらくは全く動けず、LDRから病室までは担架で運んでもらった。その後は恥骨は変わらず痛く、重力3倍になったのかというくらい体が重く、何もできずひたすら横になっていた。少しずつ正気が戻って来たのが20時くらい。22時前くらいに上半身を起こせるようになって、気合で歯だけ磨いて気を失うように寝た。
次に起きたのは1時ごろ。見違えるように気分がよくなり、立つことができた。そろそろとトイレに行く。無事トイレに着いても、力の入れ方が分からず座っても暫く何も出なかった。ただ色んな臓器からキュルキュルと音がして、元の場所に戻って行ってるんだなあと思う。
お腹は赤黒くたるんでいて、まだ膨らんでいた。ここだけ80歳みたいだなーと思いながら不思議とそこまでショックじゃない。労わる気持ちでゆっくり撫でる。
ただトイレを出て鏡に映る顔にはしっかりショック受けた。きっちり老け込んで45歳くらい見えた。ヨロヨロ部屋に戻り、アルビオンの化粧水とクリームをしっかり塗り込み、再び寝た。そんな一日だった。
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