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ドラァグクイーンに会いに行ったら好きがわからなくなった

突然ですが、私には好きな番組があります。
それは「ル・ポールのドラァグレース」。
Netflixで配信されている、ドラァグクイーン達の次期スーパースターを決めるアメリカのコンペティション番組だ。
あ、今回は陸上の話一切しません。

Netflixに加入してからハマり半年ぐらいをかけて全12シーズンを走り抜けたので、周囲が某韓国ドラマや某リアリティ番組に盛り上がる最中、私は「ル・ポールのドラァグレース」をひたすら見続けていた。
ネトフリで何見るの?と聞かれて答えると相手が「、、、?」となるやり取りを何度したかわからない。そりゃそうだ。

私はこのnoteでこの番組の布教がしたいわけでは無い。
何故ならこの番組の魅力がわからないし、説明ができないから。
だけど強烈に惹かれた。
そして「私は何にこんなに惹かれているのか?」ということを今も追いかけている途中であり、一部をここに書かせて欲しい。

私が好きだと思っていたもの

まず私は「ドラァグクイーンが好きだ!!」と思った。
番組の主役である彼女たちは、それぞれが辛い過去を持ちながらも愛情と自信に溢れ、どれだけ躓いても本番では劇的な変身を遂げて大活躍する。
ファッションセンスやメイクの技術が素晴らしく、それぞれの個性が芸術的な世界観を私たちに魅せてくれる。
だから私はドラァグクイーンが好きだし、クイーンに会いたいと思っていた。

そして昨年あるドラァグクイーンに会うことができた。
日本のドラァグ界黎明期の象徴である、故ミス・グロリアスが創設したショーにも過去出演していた方だった。
こうして偉そうに書いているがこの方に会った時、私はミス・グロリアスのことも日本のドラァグクイーンの歴史のことも全く知らなかった。
ミス・グロリアスはわかるわよね、と聞かれて首を傾げた直後「しまった」と思った。

そんなことも知らないでドラァグクイーンが好きだなんてよく言えたもんだ、と内心思っていただろう。
でもトンチンカンな私にその方は、ドラァグが日本に入ってくるまでの歴史や日本でどのように盛り上がりどのように衰退していったかを詳細に教えてくれた。
知らない単語が多すぎて覚えていない部分も多いし、詳細に書くには自信が持てない部分が多いので詳しくは書けない。
ただ、その中で印象的な話があった。

ドラァグクイーンは女性の姿で行うパフォーマンスを指す。
元々、同性愛者の男性がドレスやハイヒール、派手なメイクを用いて「女性の性」を過剰に演出することで、性的指向の垣根を越えようとしたことがおよそ起源だと言われている。
その方の言葉を借りて言うと「元々はゲイにすら相手にされないゲイの、自虐であり生きる術」だったらしい。
ドラァグという文化は人種・同性愛・女装というあらゆる差別のすぐそばで誕生し、そんな差別の最下層の人達が過剰に女性を演じ「そんなの女じゃない」と突っ込まれるところまでがワンセットだった。
その「後ろめたさ・滑稽さ」みたいなものがドラァグの持つ重要な意味なのだと言う。

私が好きな番組「ル・ポールのドラァグレース」が広まることで、アメリカを中心にドラァグクイーンやゲイカルチャーは人々に受け入れられ、人気を博していった。
日本でもオネエタレントが広まったり、バーやイベントで働くドラァグクィーンが沢山登場した。メイク動画をSNSに投稿したり、それらに沢山の賞賛のコメントが付くようになった。
しかしその一方で、ドラァグの持つイメージが徐々に変わっていくのをその方は感じたらしい。

多くの人が想像するドラァグクイーンと、伝統的なドラァグクイーンの間に乖離が生まれてきたということだろう。
「自分はドラァグクイーンだ」と堂々と名乗り、メイクの無い素顔を見せるのは差別から生まれた本来の成り立ちからは考えられないことであり、
その方は「こんな古臭いこと言って自分が老害みたいになってるのもわかるんだけど」と前置きしてから、
「ドラァグクイーンが大衆に受け入れられるものになっていること自体が、ドラァグの本来の存在から離れていっている」と話していた。

この話はかなり衝撃的だったし無知な自分を恥じた。
その後ミックスバーで別のクイーンにも会ったが、番組を見ているような高揚感は湧いてこなかった。
私は本当にドラァグクイーンが好きなのか、ドラァグクイーンを好きでいて良いのかがわからなくなったからだ。

このnoteがもしかしたらどこかに転がって、ドラァグクイーンが読むかも知れないしLGBTQ当事者の方が読むかもしれない。
シスジェンダー・ヘテロセクシュアルの女性がゲイカルチャー番組に憧れただけの記事を読んで、どう感じるのかは全くわからない。
ただゲイというだけで含蓄のあることを言うと思われたり、アーティスティックだと思われることが窮屈だという話を聞いたこともある。
つまり私が「ドラァグクイーンが好き・ゲイカルチャーが好き」と口にすることで誰かを、あるいは当事者の方々に不快な思いをさせるのが怖くなった。そこには暗い背景が確かにあり、それがあってこその魅力だったからだ。

探求は続く?

だけどその番組はずっと好きなままだし、登場するクイーンも大好きだ。
「メイクが好きなのかも?」と思った私は今度は自宅で動画を見てドラァグのメイクをやった。
ウィッグも衣装もないのにメイクをしたら顔だけ化け物みたいになったが、仮にメイクがうまく出来て衣装も決まれば満足するのか?と聞かれればそれも違う気がした。

自宅でそんな風になっても意味がない。私はクイーンになりきってスポットライトが浴びたいのかもしれない。
そしたら今度は「私はショーガールになりたかったのでは?」と思うようになった。映画「バーレスク」みたいな世界観も好きだったからだ。
日本のバーレスクダンサーの動画を見たり、レッスンの紹介を見たりしていたが、調べているうちにまたしっくり来なくった。
バーレスクも素敵だけど、私はド派手なデスドロップやスプリット、ダックウォークが間近で見たいし何ならやりたい。
「私はヴォーグダンスが好きなのか?」と思って調べていたら、日本でヴォーグダンスというとAYABambiのデフラワーダンスの印象が強く、それもまたしっくり来ない自分がいた。

私が本当に好きで本当に見たいものは何なのか。どこでだったら見れるのか、どうすれば体感できるのか。
それがいくら調べてもわからない感覚はもどかしい。
変身願望があるのか?ランウェイを歩きたいのか?
それとも強気で自信に溢れた女性の姿に憧れているのか?

どれもそうな気がするし、どれも違う気がする。
考えても考えてもわからなかったが、確かに私はこの番組内にある「何か」になりたい、と思えて仕方ないのだった。

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