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コモンズ思考をマッピングする 補論

研究室で輪読を行なっている『コモンズ思考をマッピングする ——ポスト資本主義的ガバナンスへ』の補論「グレーバー&ヴェングロー “The Dawn of Everything” を読む」について、サマリー、ゼミでの議論内容、感想をまとめました。(文責 M1 高田)

サマリー

”The Dawn of Everything” は、文化人類学者のデビッド・グレーバーと、比較考古学者のデビッド・ヴェングローの約10年の共同作業の成果です。”The Dawn of Everything” と第7章の議論を関連させることで今後の課題が見えてきます。
新石器革命論(農業革命論)」では、メソポタミアでの農業の始まりによって余剰生産力が生まれ、支配層の成立、人口集積による都市化が発生し文明が始まったとされています。しかし、この従来の定説は破綻しているにも関わらず、オープンで横断的な議論は乏しいままです。”The Dawn of Everything” は、考古学者、歴史家たちが歴史の語り方を覆すことを躊躇させる要因は何かという問題意識からきていると考えられます。

北アメリカ先住民の論客と啓蒙思想家

北アメリカ先住民の代表的論客としてカンディアロンクという人物が登場します。カナダに滞在したフランス軍人のLahontanは、執筆でカンディアロンクとの対話を書き、そこではカンディアロンクは、ヨーロッパ社会より先住民社会が優れ幸福であることを語っています。ヨーロッパ社会では豊かな人が貧しい人に支配力を振るい、他方で先住民社会では人の命令で行動せず、豊かな人が貧しい人を助けることが当然だと考えられていました。絶対王政と教会の権威を批判した啓蒙思想家たちは、北アメリカ先住民のヨーロッパ社会批判の影響を受け、ルソーの「人間不平等起源論」の重要な部分はヨーロッパ社会批判を元に描かれているとグレーバーたちは判断します。
Lahontanの本から、ヨーロッパ社会批判が好意的に受け止められた一方で、居心地が良くないと感じる人もいました。ジャック・チュルゴーは、人類社会は技術進化によって狩猟民から牧畜民、農民、都市的商業文明が起こる発展段階論でヨーロッパ人の優越性を示すストーリーを作り出しました。階段の一番下の単純社会は平等主義的で、社会が複雑になり階層化が起こることでの不平等は不可欠という主張です。この発展段階論はヨーロッパの思考の基本になりました。歴史家や考古学者から新しい歴史の語り方が出てこないのは、発展段階論的な考えを捨てることに躊躇があるからではないかとグレーバーたちは考えます。

政治的自己意識と三つの自由

考古学的、人類学的な研究の成果によって、北アメリカ先住民は自由だが農業技術の普及以降の複雑化した社会を知らないからだという理解が誤りであることが明らかにされます。カホキアという国では、貴族階層が平民を支配し、貴族の葬儀では多くの人が神への犠牲として殺された忌まわしい記憶が残りました。この時代の反省から、討議を通じた合意形成を重視する考え方が意識的に作られたのです。北アメリカ先住民の政治思想「三つの自由」は、「移り住む自由」「他の人の命令に従わない自由」「まったく新しい社会的現実を形づくる自由」で特徴づけられます。
なぜ先住民と少数民族が「ポスト資本主義社会ガバナンス」探求で重要なのかを、啓蒙思想家たちと北アメリカ先住民の関係で再考します。第二次エンクロージャーは、コモンズ思想から土地所有権の思想への転換点となりました。ルソーが1754年に「人間不平等起源論」を発表し、第二次エンクロージャーは1760年ごろに始まります。カンディアロンクたちの視点で人類史の夜明け時代を解読することは、現代の支配的システムが形成される前の「コモンズ思考」の視点から考えることになります。カンディアロンクたちの視点は「政治的自己意識」を前提にした試行錯誤を読み取ることにつながります。

新しい歴史の語り方の視点

新しい歴史の語り方の視点として、ギョべクリ・テペ遺跡が挙げられます。トルコ南東部のギョべクリ・テペ遺跡では、彫刻が彫られた巨大なT字型石柱が発掘されましたが、これは数世紀に渡って作り直されていました。ギョべクリ・テペで儀礼を行っていたのは、狩猟採取中心の暮らしをする人たちだと考えられています。巨大な大理石の運搬には組織的な労働が必要で、このようなことが可能な狩猟採集民がいたことは従来の歴史観では想定しておらず、その歴史観が否定されることになります。有力なシナリオとしては、狩猟採集民が生態系サイクルに合わせた暮らしと季節的に変容する社会編成を持ち、分散していた人たちが真夏から秋に神殿の周囲で祭りをし、巨石を移動する共同作業を行なっていたのではないかということです。
また、メソポタミア地方での穀物栽培の浸透についても、定説的な歴史観が誤りであるとグレーバーたちは考えます。生態系をよく観察し、実験を重ねながら役に立つ植物が育つ環境を育て、それを引き継いでいくという過程の視点から歴史を語る必要があるとグレーバーたちは強調します。

最も古い都市的遺跡

従来の新石器革命の理論では、農耕の浸透と都市、国家、文明の成立が並行して進んだと考えられていますが、近年の考古学的研究からは、原初的な都市では末端コミュニティによる自治ガバナンスが浸透し、トップダウン支配が現れるのは後の時代になってからだと読み取れます。ウクライナのメガサイトと呼ばれる遺跡は、最も早い時期の都市的な例で、メソポタミア、モヘンジョダロ遺跡などが知られています。
ウクライナのメガサイトでは、穀物栽培、果実や木の実の栽培、植物の採集、牧畜、狩猟など多様な資源利用の組み合わせで持続可能な生態系管理がされていました。このような暮らしは約八世紀にわたって続きますが、支配層の台頭はなく入れ子状ガバナンスができていたと推測されます。
初期のメソポタミアの都市では王政は確認されず、王政が成立した後も自治的仕組みである地区評議会や長老集会などを無視できなかったようです。都市は寺院を中心とした門前町が多く、ボトムアップによる意思決定がされていました。国王が権力を行使した時期もありますが、その場合には住民たちが他地域に逃げ、暴政は長続きしませんでした。
インダス川流域のモヘンジョダロ遺跡は、街の主要部分が下町で、格子状の道路沿いに家が並び上下水道が整備されていました。街の中心には城塞があり、城塞の領域で暮らす人たちと下町で暮らす人で階層文化がありましたが、カースト制について文献に出てくるのは一千年後のことなのでこの階層がカースト制と同じだったものと見ることはできません。インダス文明には兵士階層はなく国家概念に該当するものもありません。階層文化はありましたが、ボトムアップな意思決定が機能していた可能性が高いとグレーバーたちは考えます。

支配システムの三つの要素

グレーバーが『負債論』で書いているように、1971年に変動相場制に移行後、国際金融秩序を維持するためにIMFやWTOなどの国際官僚機構の権限が大きくなり、彼らとテクノクラートが重要な意思決定を行なっています。しかし、その意思決定に対してのチェック機能はなく、国家国民を中心にしたシステムに再編成が起きつつあります。

 グレーバーたちは、支配システムの三つの基本的要素をa) 恣意的な暴力、b) 情報・知識の秘匿、c) カリスマ性と想定し、制度としてはa) 王の主権、b) 官僚制、c) 英雄的戦士貴族(競争的政治)をとるとし、三つの要素の相互関連を考察します。
ペルーのチャビン・デ・ワンタルはインカ帝国より以前の紀元前1000-1200年の時期にペルー北部高地で栄えた宗教センターで、インカ以前の帝国主義の中心だったと考古学者は推測しましたが、軍事要塞や行政センターなどの政府機能は出てきませんでした。チャビン文化で描かれるイメージは、訓練なしに読み取るのは困難でシャーマンの秘儀的な知識や記憶の手がかりとなるイメージであることが判明しました。つまり、チャビン文化の影響力は秘儀的な知識(つまり「b) 情報・知識の秘匿」) によるものです。メキシコのOlmecは「c) 英雄的戦士貴族」文化で、軍事的・行政的機構を持たずに影響するセンターとして機能しました。リーダーを描いた石像は球技のヘルメットを被った理想的男性美で競技のチャンピオンのようでした。勇敢さがカリスマや権威と深く結びついています。ナチェズの支配者のグレート・サンは太陽の子孫で、普遍的な法を携えて地球にやってきたといわれます。グレート・サンは恣意的暴力を行使し、「a)主権(恣意的な暴力)」で恐れられてはいるものの、その意思を執行する機関を欠いていたため暴力を恐れる巨民たちはGreat Villageから離れ相手にしなくなりました。
エジプト王国やインカ帝国では「a) 王の主権」と「b) 官僚制」 が結びつき、集権的支配システムが生まれました。エジプトでは初期の王の死に伴い多数の親族や家臣が殉死しました。死んだ王に捧げる食物のために小麦栽培を促し、ピラミッド建造従事者のためにパンとビールの製造が産業的規模で行われるようになりました。王のために社会的機械が作り出され、これを運営する官僚機構が生まれたことが「a) 王の主権」と 「b) 官僚制」を結びつけました。インカ帝国も同様に、死んだ王に食物を提供するためのトウモロコシ・ビールが作られるようになりました。国家の形成は、従来の歴史説の短絡的連鎖で起きたのではなく、死んだ王への服従という迂回した要因連関を通じて起きたと考えられます。中南米では集権的支配システムが形成されましたが、これを嫌い分権的意思決定を重視する社会も多数あり、両方の流れが拮抗しました。

「自由の生態学」と「三つの自由」

今後の社会を展望するには「自由の生態学」と「三つの自由」の関連が重要だと考えられます。多角的な生態系資源利用は、自然災害が増加する現代においてはレジリエンスの高いコミュニティ作りと密接に関連します。三つの自由と自由の生態学を重ねることで、個々や家族から複数の地域コミュニティを出入りする暮らし方と、持続可能でレジリエントな多角的な資源利用というコミュニティの組み合わせが可能になります。

ゼミでの議論

三つの自由

三つの自由の一つである「まったく新しい社会的現実を形づくる自由」とはどういうことかという議論になりました。一つめの自由「移り住む自由」と二つめの自由「他の人の命令に従わない自由」が機能してこそ、三つめの自由に繋がると考えます。資本主義やルールによる支配の状況に慣れてしまった現代人にはハードルが高く感じるかもしれません。しかし、地域での小さな取り組みや、身近なことで自らが当事者として自律的に参加する活動が、三つの自由を取り戻し社会を変えることにつながるのではないかと考えます。

トランジションデザイン

今日まで輪読した全ての章でいえることですが、特に補論で人類史の夜明け時代に遡り、そこから得られた示唆はトランジションデザインのための重要な視点であるという気づきが共有されました。先人の生活や価値観から学ぶことが、知識や生態系資源の利用を再考し、社会の再編成への視野を広げると考えます。

感想

補論の中で特に印象深かったのは、北アメリカ先住民の政治的自己意識の話でした。変化が急速に起こる現代社会では、刺激的な新しいものや目先のことに目がいきがちで、資本主義発展の過程で人間として大切にすべきものから距離ができてしまったのかもしれません。先人が大切にしてきたものに立ち返り、自分たちはどういう社会で生きて未来に何を残したいのかの自己意識を持つことが正しい意思決定への参加につながると思います。
本書の序章で言及された斎藤幸平の『人新生の「資本論」』も並行して読んだのですが、「3.5%の人が非暴力的な方法で本気で立ち上がると社会が変わる」という政治学者エリカ・チェノウェスらの研究について触れられており、それが心に残っています。デザインの力を社会に活かすことに取り組む私たちゼミ生は、ポスト資本主義社会を作っていくコミュニティを生み出す3.5%の人になるべく、今後もコモンズについての議論や実験を重ねたいと思いました。


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