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聖なる酔っ払い

昨日、ツイキャスで映画の話をしたのだが、限られた時間で零れ落ちてしまったものがたくさんあった。韓国映画やインド映画、戦争映画などだ。

この記事ではツイキャスの補足のような形でインド映画『PK』を紹介します。

インド映画の金字塔『きっとうまくいく』のラージクマーリ・ヒラリ監督。そして主演も同じくアーミル・カーン。

このコンビの鉄壁さを改めて証明する映画になった。いや、前作より個人的には好きだ。宗教というデリケートなテーマを風刺的に扱っていながら、神そのものを否定しているわけではないという微妙なバランス。

そうこういう映画が観たかったのだ、と思わず膝を打った。

突拍子もない設定も鑑賞後には、考え抜かれたシナリオだったと気づかされる。

こういう話だ。地球に降り立った宇宙人PK(酔っ払いの意)は、スペースシップを呼ぶためのリモコンを盗まれてしまう。インドを放浪するうちに、神であれば困りごとを解決してくれると知ったPKはインド中の宗教を遍歴し神に語り掛ける。

ここにラブストーリーもブレンドする剛腕は見事。笑いあり涙ありのもっともわかりやすい王道のコメディ映画に仕上がっている。それでいながら深淵でもある。

何かの到来を待ち続けるという意味では『ゴドーを待ちながら』っぽくもある。ただ、アーミル・カーン扮するPKはウラディミールやエストラゴンのようにひたすら待ってたりしない。動き回る。というのも決まった待ち合わせ場所すらないからだ。

神とはいつどこでランデブーすればいいのか。宇宙船や人工衛星のドッキングのように座標が決まっているわけもない。

56億7000万年後? それとも最後の審判の後でなら??? メッカでエルサレムでヴリンダーバンで?

この物語で、PKの願いは神に届く。でも、その過程で神のしもべを打ち負かさなければならなくなる。皮肉だろうか。もちろん打ち負かされるのは神の御心の誤った代行者たちだ。

彼らは戒律を都合よく歪め、罪や地獄で脅しつける。PKは子供のようなマインドですべてを丸裸に暴いしてしまう。

そのためにはまず自分が丸裸である必要があるだろう。そう、なにしろことのはじめから彼は一糸まとわぬ姿なのだ。のちに彼は衣服を手に入れるが、本質的には裸のままだ。心を偽ることもなく、嘘をつかない。

ラストシーン、はじめての嘘をついてしまったPKの姿に涙しない者があるだろうか。あまりにも切なくて優しい嘘だ。わたしは号泣したあげく、この映画に地上にもたらした神を賛美し、またとなくご機嫌な気持ちで家路についた。

宗教映画としてナンバーワンだったのはロバート・ゼメキスの『コンタクト』だったがついに牙城は崩れたと言えよう。合わせて観るのもいい。

ヒロインのキュートさやダンシングカーの楽しさなど、まだまだ語るべきところはあるが、そろそろ締めますか。

PK超最高。

世界中一人残らずもれなくゼッタイ観てほしい映画です。

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十三不塔
リロード下さった弾丸は明日へ向かって撃ちます。ぱすぱすっ