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打口帯の思ひで

2020年の12月号のSFマガジンに受賞コメントが載る。

その末尾に中国での思い出話をしばし語った。その補足というか、こぼれ話を少し書こうと思う。2000年前後の中国では、政府の規制をくぐり抜けるため、カセットテープやCDにパンチで穴を空けてジャンクとして流通させるという仕組みがあった。

これが打口帯、もしくは打口碟と呼ばれる代物だ。これは過激なロックやヒップホップを社会主義的規制の水面下に見えなくなせるための工夫で、ゴミと見なされたそれらで当時の中国人たちは、海外の尖った文化を吸収していた。

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とはいえ、日本人の僕らにとっては、普通にショップで買えるようなラインナップで何も珍しいものではない。もちろん値段は日本に比べて驚くほど安いが、とりたてて物珍しさはない。

でも、僕は興奮した。こうした裏モノというか、アンダーグラウンドの匂いがたまらなく思えたのだ。もちろんこれを購入したからといって大きな罪が着せられるわけではない(販売者はわからない)。

こうして僕は母国でさしたる興味のなかった音楽を、禁止されているからという理由で貪るように聞いた。メタルが多かったように思う。パンクやヒップホップは日本に居るころから耳にしていたが、よりマイナーなものに手を出すようになっていった。

このような下地の上にルームメイトのキム・テフンとの共同生活によって大迷惑な日韓爆音生活が始まるのだったが、それは以前記事にした。

https://note.com/hridayam/n/n0b3dd2ad0234

どんな強権的な管理社会においても、人間の好奇心は止められない。それは暗渠を巡る地下水のように制度の境界を越えるのだろう。もうすぐ出版される『ヴィンダウス・エンジン』にしても、幸運に恵まれ中国で翻訳出版という運びになったとしても、そのままの形では無理かもしれない。政府批判と取られかねない内容(反動分子!)を含んでいるから。

それでも僕は、僕の小説が打口帯として読まれることを夢想してしまう。おおっぴらにではなく、あくまで密やかに手に取られ、暗がりの中で流し読みにされ、速やかに打ち捨てられることを、心のどこかで望んでいる。

リロード下さった弾丸は明日へ向かって撃ちます。ぱすぱすっ