自分を好きになることを諦めた話

みなさんこんにちは。ししむらです。

以前にADHDについてのnoteをあげたのですが、今回はそのnoteの続きのようなものです。以前かいたADHDのnoteを見なくてもわかるような内容にはするつもりですが、合わせて見てみたい方はこちらからどうぞ。


前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。前回のnoteの最後の方で「自分を好きになるように動いて欲しい」、「自分を好きでいることをやめないで欲しい」といった話をしました。その時の自分とは少し考えが変わってこの表現があまりしっくり来ないので今回は修正?の意味でこのnoteをかいています。


自分を好きになれない、自己肯定感が低いということで悩んでる人は私の体感では多い気がしています。自分の理想に自分が追いつけなかったり、周りよりも劣っていると感じてしまったり、どれだけ成功を獲得しても、その先には更に上があって、その上を見ると自分がちっぽけに思えてしまう経験は生きていれば多くの人が経験することではないでしょうか。私もそうです。多分自分が橋本環奈でも北川景子になりたいと嘆いていたと思います。そうした積み重ねが自己否定に繋がって、自分を嫌いになる材料が集まっていくんだと思います。

でもこういった経験は避けようがないじゃないですか。1度失われてしまった自己肯定感を回収するのはとても時間がかかります。自分を好きになることはすごくハードルが高いことなんです。だから私は自分を好きになることを放棄しました。難しいことをしようとしたってできないものは出来ないんだからやめようと考えました。その代わりにハードルを下げました。自分を好きにならなくてもいいから、今以上に嫌いにならないようにしようと考えるようにしたのです。

この考えにしてからは自分を好きになれないということで苦しむことは以前より減ったように感じます。何か失敗をした時に自分はダメな人間なんだと落ち込み、それに付随してどんどん自分が嫌いになっていくということで二重に心に負荷がかかることがなくなりました。自分を好きになることを諦めるということは、自分への期待を捨てるということでもあるので、残酷と言えば残酷なのかもしれません。ですが、ハードルを低くすることで成功体験の獲得を増やせるので、結果的には自分に優しくできるのではないかなと思います。

私はこの考え方に加えて、自分を嫌いにならないように材料集めもしました。例えば、駐輪場の自転車が倒れてたら直すとか、公共機関でお年寄りの方に席を譲るとか、店員さんにありがとうございますって伝えるとか、そういう自分に負担がかからない範囲の小さいけど良いことをするように心がけました。そうすることで少しずつですが、喪失した自己肯定感の小さな小さな欠片を集められるようになりました。


出来ないと開き直ったり、無理だと放棄したりすることはすごく勇気がいるし、自分への期待を捨てる悲しいことでもあります。だから、自分を好きになれなくて辛くてどうしようもない時は、自分を好きになりたいと縋り付くのだけやめて、現状維持に努めてみてもいいかもしれません。今回はそういった提案をするnoteです。

僭越ながら、このnoteが水の中で息苦しくてもがいている誰かの腕を引くものになればいいなという淡い期待を込めてこの文章を閉じたいと思います。