あの日のわたしとラジオの話

2021/3/11 25時〜 サンドウィッチマンがANNの特番をやった。当時の話を聞いてすごく思い出してしまったので、またまた震災の話を。

いやでも、私の中で、震災の話をするにおいてラジオの話は絶対不可欠なのだ。
あの時は、本当にラジオしかなかった。
サンドウィッチマンANNに出演されていた藤沢アナが所属する東北放送もそう、DateFMもそう、NHKラジオもそう、サンドが直談判して番組を勝ち取ったことでお馴染みのFMいずみもそう。
どこで飯・水・ガソリンが手に入るのか、どこの施設が飯を配ってるとか、どこの施設が開いているだの、学校は休校なのか、受験合格発表は、遺体安置はどこにあるとか…ずっと聞いていたわけではないのだが(藤沢さん曰く情報だけを流す番組を3/22までぶち抜きでやっていたようで、本当にあの時はありがとうございました…)
私は当時からラジオリスナーやってたおかげか、ラジオ局の周波数に異常に詳しかったので、まさかこんなところで役に立つとは、ラジオ好きで良かったなぁと思ったりした。というか、私がいつも使っていた『ラジオ』が役にたつとは思わなかった。いつもラジオを遅くまで聞いてめちゃくちゃ怒られてたけど、それが今みんなに役に立っているんだと。ちょっと誇らしい気持ちになったりした。

まぁだが、もちろんこっちのラジオはそういう情報系ばかりで私が聞いていた楽しい放送はやっていなかった(ただ唯一2011/3/18のサンドANNはこっちでもやっていたようだ、知らなかった・・・。)
で、当時毎週聞いている『オードリーのANN』どうしようと。
3/12に関しては本当にそれどころではなかったので、普通に忘れていたが(実際放送なかったっぽいし。)その1週間後の3/19は、私の家に電気が戻っていて、もう情報源としてラジオを使っていなかったこともあり、『そうだ、ANN聞こう』と、思い立った。
ただ、当然こっちではやってないので、夜になると頑張れば拾えることを知っていた私は遠く離れたニッポン放送の電波を拾うことにした。正直聴取環境は最悪だった。が、1242から魂ラジのEDらしき音が流れた時には『あ、私の日常に繋がった』と思った。
そして25時の時報、『ジーニアス英和辞典プレゼンツ』といつもなら春日さんの声が聞こえるはずが

『どうも、オードリーです』

と、なんと漫才が始まった。
何のネタをやったかとか覚えていないけれど、私が1週間ぶりに触れた『娯楽』だった。ウォークマンで音楽は聞いてたけど、なんだろう、生放送っていうこともあって、凄い久しぶりに『娯楽』に触れた感じがした。
そして凄い笑った。腹抱えて笑うってことが本当にずっとなかったから、もう本当に面白かった。漫才が終わって、ビタースイートサンバが流れるともうなんか涙が止まらなかった。まだ何も進んでないし、状況はそのまま出し、ずっと風呂入ってないから相変わらず自分臭いし、でも親の顔見るよりも安心して、放送も割といつも通りの放送だったからなおさら…。もう一生このパーソナリティについていこうと思った瞬間だった。本当にこの時は大袈裟でもなんでもなく、オードリーのANNに救われた。あの時は本当にありがとうございました。ただ、この後、寝落ちしちゃったので、最後まで聞いてませんすいません笑
そして4月くらいになってようやくこっちにオールナイトニッポンが戻ってきたと記憶している。で、毎回ニッポン放送の電波拾えるわけでもなく、(拾えてもめちゃめちゃ途切れ途切れだったりする)2011年3〜4月の放送途切れ途切れでしか聞いてないので、当時よくやってた『春日さんがアニソンを歌う流れ』の経緯を詳しく知らなかった。完全に浦島太郎だったのも忘れない。