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ドット絵雑談「14歳からの仲なおり」

今日は、以前作成したドット絵『微妙な角度の少年少女』の「背面向き」を描いてみました。

ドット絵といってもゲーム用ではないので、背面向きはいらないかな~と思っていたのですが「朝礼で校長先生の長話を聴く生徒たち」みたいなシチュエーションを表現するには必要かもしれません。

そういう軍隊式っぽいのはドット絵『兵士』でやれよ~と思うところですが、日本の現実なので仕方ないですね。そのうち校長先生も描こうと思います!

というわけで、あとは雑談です。すでに雑談ですけどね!

男子が終わる14歳

ドット絵『少年少女』は、デフォルメ体型の"ごまかし"の都合もあって、大人でも子どもでもない14歳あたりを想定して描いています。

14歳と言えば、「多感な時期」、子どもが大人になる変わり目の時期だとよく言われます。『エヴァンゲリオン』を「深読み」するときにも言及されがちです。男性中心の考え方ですけどね。女子は少し早く、先を行っているわけですから。

ただ、少なくとも中二男子の視点において世界がカオスなのは確かです。この時期、男子はついに大人への発達を始め、「好奇心が旺盛で、衝動的」という子どもの特徴を失っていきます。同級生なのに、子どもとオトナが混じり合い、そして変化もしていく奇妙な小さなコミュニティが生まれます。

あの頃の「気味悪さ」をぼくはずっと昨日のことように思い出せます。なかでも特に記憶に深く刻まれているのは、喧嘩をしたあとに「仲なおり」ができなくなる境界線がそこにあったことです。

なぜオトナは「仲なおり」できないか

中学二年のある日、ぼくやM君はその週の掃除当番でした。ところがひとり足りない。M君がいない。

ちょうど校庭を歩いて帰途につくM君の姿を誰かが見つけ、掃除当番だぞ、なんで帰るんだ、と声をかけました。M君の返事はなく、無視。

翌日ぼくはM君を問い質しました。なぜなんだ、と。するとM君は憤慨して「塾があるから」だと答えました。

とはいえ、こんな衝突は男子にとってはよくあることです。ぼくは次の機会に、M君に普通に話しかけました。でも、M君はぼくを敵視し、強く拒絶したのです。

M君とは小学生のころからの友人でしたが、それきりになりました。

それまでずっと、ぼくら子どもはお互いに無神経で、無配慮で、身勝手に馬鹿なことを平気で言ったりやったりしながらぶつかりあって、でも、次の日には「普通」に戻っていました。今日を少しでも楽しく過ごすためには、昨日のいさかいなんて関係ないですからね。よっぽどのことでなければ子どもは根に持ちません。昨日なにがあろうと、その場にいる顔ぶれで楽しくやれるなら、やる。

もちろん自分が楽しむために他人を弄ぶ、いわゆる"いじめ"などは例外です。でも、それぞれの意見や都合の違いなんて、別のときには関係ありません。いじめる・いじめられるの関係すら超越してしまうことすらあるくらいです。子どもの頃の「衝突」はずっとそうやって自然修復できました。

でも、それが初めてできなくなったんです。

もちろん、掃除当番をめぐるいさかいなんてきっかけでしかなくて、M君はぼくのことをずっと嫌いだったのかもしれません。でも子どもはそういう気持ちを隠さないし、隠せない。

おそらくM君は、ぼくより先にオトナになっていたのでしょう。

その後、自分とM君だけでなく周りの人同士も、そうやって仲違いしては修復できない関係になっていくのを見るようになりました。

衝動性を失って目先のことに囚われなくなった反面、手に入れた消極性によって物事の変化を嫌うようになり、あるいは人が変われることを信じられなくなる。また、好奇心を失うことで現在に目を向けることをやめ、過去の記憶をもとに判断するようになる。そして、オトナは仲なおりできなくなる――という感じでしょうか。

働くようになると「仕事の都合上、仕方ない」という縛りがあるので仲違いがあっても表面的な付き合いは続きますから、意外と気付きにくいことかもしれません。でも、仕事やお金の縛りがなければちっとも仲なおりできなくなる様子は、SNSやオンラインゲームのコミュニティをよく見ているとわかります。

オトナが"縛り"なしで集まる機会というの現実社会には多くないのですが、オンラインのコミュニティは、オトナたちの本当の姿を見せてくれます。オンラインゲームは特に、童心に帰って、子どものように遊んでいるように見えて、実はそうではないんです。

意見や都合の違いで衝突しただけで、仲違いし、もう言葉をかわすことすらできなくなるなんて、子どものころにはなかったじゃないですか。逆に衝突を恐れて意見を言わないなんてことも。

残念ながら、ぼくもM君よりは少し遅れて好奇心が減退し、衝動性もなくして慎重になってしまいました。それまでズボラだったぼくが、急に几帳面になったと、数年後、母が気味悪がっていたことをよく覚えています。

でも、この母の指摘は貴重なものでした。自分では気づかないうちに、自分が変わってしまったことに気付けたからです。

その後は、あえて子どものころのように、明らかに険悪な相手に対しても知らん顔をして普通に接するようにしてきました。これはけっこう、うまくいきます。もちろん、うまくいかないこともありますけどね。ただ、オトナが仲なおりできないという謎を、同じように不思議に感じている人は意外と少なくないのかもしれません。

というわけで長い校長先生のようなお話はおしまい! です。

背を向けず、ここまで読んでくれてありがとうございました。

(おしまい)

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