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真の!? マリオメーカー問題(後編)

コース作者に陽が当たらない問題と、ゲームに対して建設的な意見が共有されない問題を踏まえての、続きです。

アクションゲーム全般に、「難しくても、嘆かない」という風潮は間違いなくあります。ゲームに限らず「うまくやれない」「わからない」ということを口に出すことは恥ずかしい、情けないとされる現代日本的な根性論的パワハラ許容体質も関連するかもしれません。

ネガキャン的な強い批判ではなく「ここで必要とされる連続アクションは人を選ぶ」とか「こういうギミックはわかりにくいからヒントが必要」といった建設的なノウハウが"自然と"浸透すればいいのですが、残念ながらそういう状況にはありません。

RPGの場合は競争意識が低いこともあって、昔から「○○がどこにあるかわからん」という声が普通にあげられてきました。まあヒントが豊富どころか、次に行くべき場所が強調されるようになるなど、過剰なまでのサポートが行われるようになり「歩行器」「介護」「盲導犬」などと揶揄にされることもありますが。

上手い人ほどヒントや練習の機会を意識できない

マリオメーカーは親切なコース設計のチュートリアルがあってコース作りについての様々なアドバイスがなされているのですが、たぶん見ない人が多いのではないでしょうか。マリオメーカーのエディット機能はかなり直感的に作られていて「やればわかる」ので、幸か不幸かチュートリアルを見る動機がほとんどありません。

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一方、マリオメーカー収録のサンプルコース(ストーリーモード)にはそれなりに厳しいものが含まれます。

ストーリーモードはプレイしながらエディットもできるので、"穴をブロックで埋めて落ちないようにする"といったかたちで難所を"なきもの"にして、難易度を下げられます。エディットして済ませることで、無理に攻略できるようにならないというメリットがあるのです。

攻略できるようにならないことを「メリット」と呼ぶことには違和感があるかもしれません。しかし、コース内の"ある難所"をなんとしても攻略せねばならず、そしてがんばった末に攻略に成功すると、それはその人にとって、もう難所ではなくなります。

ゲームに限らず、自分ができることは「わかって当然」「やれて当然」と思う心理があり、有能な人が指導者としてはうまくやれないことはよくあることです。

エディットすることで"飛ばした"難所は、その人にとって「やれて当然」ではないので、コースを自作する際に"禁じ手"にしたり、その難所と同じ仕掛けを採用するにしてもリトライの機会を設けるなどサポートを手厚くするきっかけになります。

また、マリオメーカーを含む既存のマリオシリーズは、厳しいコースであっても直前にヒントがあったり、練習になる部分が設けられています。上手くない人ほど救いを求めてコースを見直し、そしてヒントに気付くわけですが、上手い人はあらためて見返す機会がないためヒントになっていることに気付かない場合があります。

マリオメーカーは自作コースを一度クリアしないとアップロードできない仕様になっていて、これはクリア不可能なコースが世に出ないうえでは良い仕様です。ただ、「自分がクリアできればいい」というかたちで"ひとりよがり"が許されることに拍車をかけているともいえます。

高難度、意地悪にしたつもりはないのでは?

コースの作者に陽が当たれば、他の作者からノウハウを得る機会も多くなるのですが、それも稀です。

そんなこんなで、アクションゲームに対する"リテラシー"とでも呼ぶべきものはなかなか育まれにくい状況にあります。

高難度と評されるコースも実は、作者としては「これくらいできるでしょ!」と思っているだけで、高難度にしたつもりも意地悪をするつもりもないのかもしれません。

下手な人がアクションゲームを作るとどうなる?

逆に言えばアクションゲームが下手な人ほど、躓きやすいポイントや、練習する機会の必要性などを知っていて"リテラシー"が高い状態にあるかもしれません。

それなら、もしも"上手くない人"がアクションゲームを作ったらどうなるか。もちろん、アクションゲームが上手い人には「ぬるすぎて、つまらん」と言われ、腕自慢のYouTuberに紹介されることも絶対にないでしょう。

でもそんなことは気にせず……ちょっと、チャレンジしてみたいと思います。

(つづく)


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