ラブトランジットと天体観測
ラブトランジット2を見た。
実はバチェラーシリーズもまだ一つも見たことがなく、恋愛リアリティー初心者なのだが、いや、初心者だからこそかもしれないが、ドはまりしてしまった。
全話を一気に見てからというもの、ラブトランジットに対する感想や動画を漁り尽くしている。
「1の方が面白い」「1と編集が変わってしまった」など、1のファンにとっては2が期待外れだったという声も多かったが、幸い私は2しか知らない。比較対象が無いので純粋にエンタメとして面白かった。
しかしどうも、予想外の展開を素直に面白がるだけでは収まらず、暇さえあればラブトランジットのことを考えてしまう日々が続いている。
この胸のざわつきを消化すべく、こうしてnoteに書きだしてみることにした。
怖いもの見たさで覗きたい、人間のエゴ
「振った側かつ、誘った側かつ、復縁する気が無い」というスタンスの参加者の本音が気になる。
「心残りがあったから向き合いたかった」と言うけれど、「向き合いたい」ってなんて便利な言葉なんだ。
これは完全にただの好奇心でしかないのだが、参加動機の本音の奥深いところを知りたい。
「リアリティーショー、もしくはメディアに出たい。ちょうど良い機会だから、ついでに気になっていた元恋人ともスッキリしたい」
と、まず始めに自分にとってのメリットありきで参加を希望したのか、
それとも
「元恋人とスッキリしたい。リアリティーに出るのはリスクもあるけど、それ以上に得るものが多そうだ」
と、知名度が上がることはあくまでも副産物程度に捉えていたのか。
実際のところがどうかは別として仮に売名目的があったとしても、それを批判する気は全くない。そんなことは私はどうでもいい。自分の目標達成のために有効な手段を選べる人を私は好きだよ(急に何様)
ただただ、この人達の行動原理に興味が湧いて仕方がないだけなのだ。
恐らく大半の人は後者だと言うだろうし、本人もそう思っているだろうし、自分にそう言い聞かせるだろう。だけど、本当のところはどうなのだろうか。
この人達、いや、自分を含め人類の本質を覗く問でもある。それ故に怖いけど、知りたい。
「向き合いたい」のは自己満足か
「振った側かつ、誘った側かつ、復縁する気が無い」けど「向き合いたい」
ってなんだよ…!
いや、分かる気はする。だからこれは、架空の参加者である自分へのセルフツッコミである。
向き合って、どうしたいのか。
謝ってほしい、許されたい、自分のことはなんだかんだずっと好きでいてほしい。のか?
振った側が「向き合いたい」と言う時、相手と一緒に新しく何かを築き上げたいわけではなく、実は自分が癒されたいだけなのではないか。
向き合いたい根底に流れているのは、別れを決めたことへの罪悪感や、別れに至るまでの過程にあった大小さまざまなことに対して精算したいというエゴじゃないのか。
分かってる、そんなことを考えてしまう私は性格が悪い。
秘すれば花
昔の恋人に対する行き場の無い気持ちは人類共通のコンテンツである。
BUMP OF CHICKENも歌っている。
と。
今なら分かる事、今なら言える事、もう一回やり直したらきっとうまくできる事。でもそれは、今さら言っても意味が無い。
思い出は美化されると言うけれど、美化なんかされずに痛みの記憶として残ることだってある。
過去の痛みを美しい思い出に昇華させたいだけなら、復縁は望まない方が良い。
復縁するカップルは、過去の痛みは痛みのままに、また新しい痛みを共に負う覚悟が必要だ。
その覚悟が無いのなら、過去の恋に向き合おうなんて思っちゃいけない。
新しい恋の痛み以上に、自分の狡さや欲に直面して苦しむだけだ。
それでも、私たちはまた望遠鏡を覗き込んでしまう哀しい生き物だ。
Oh yaeh アハーン
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