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証拠は、女のカン

数々の事件を担当した菅生刑事が退職することになった。
名刑事としてならした彼は、
「犯罪の影に女ありは、本当だな」
とポツリと言った後で、
「だがな、女のカンの凄いのも事実だな」
とも付け加えた。
菅生刑事の脳裏には、ある時効になった殺人事件が思い出された。
その事件は昭和30年代に起こった。
マスコミでは大して話題にはならなかった。
が、ベテラン刑事の間では、今も「毒饅頭」事件として、女性のカンの鋭
さを代名詞する事件として言い伝えられている。
地方の中核都市で、その町の有力者Hが殺害された。
Hの遺体は、殺害直後に近くの川に放り込まれ、1週間後に発見された。死体の損傷は激しかったが、背格好や着衣、血液型などから、捜査当局は、被害者をHと断定した。
直接の死因は、どうやら饅頭に仕込まれた毒だった。
Hが最後に食事をしたと思われる自宅の部屋に残された饅頭から検出された毒が、被害者の胃からも発見されたのだ。
このことからHが酒を飲む時は、必ず甘い物を一つ二つ口にする食習慣があることを知っている者の犯行と思われ捜査は進んだが、とうとう時効を迎えてしまった。
ただ、菅生刑事は、一つ気になる証言を聞いていた。
それはHの妻の美沙緒の発言であった。美沙緒は、
「死人は主人にそっくりですが、主人ではありません」
との証言を繰り返した。
その理由を尋ねると、
「主人は、絶対に饅頭を半分残すはずありません」
と美沙緒は答えたのだった。
たしかに、被害者が食事をした後には、饅頭の半分食べ残しが残されていた。
何の根拠もない証言だが、Hの傍に長年寄り添っていた妻の証言は記録としては残った。
が、犯人逮捕の決めてとなるものではなかった。
そのHが、ヨーロッパのある国で、亡くなったとの知らせがHの妻に届いたのは、つい数年ほど前のことだった。
差出人は、ヨーロッパで結婚したHがもうけた二人の子のうちの長男だったそうだ。
Hは、死ぬ間際まで、自分がHであることを一度も語らなかったそうだ。

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