晴天祭

 嘘つきのみちるがいうには隣国の工場では幸福を大量生産して他国へ輸出しているらしい。中でもお菓子部門が好調でチョコレートやマシュマロを抑えてとりわけわたあめが世界一の出荷量なのだそうだ。あかるはザラメの甘い香りに満たされた工場でふわふわしたピンクや白や色とりどりのわたあめがひとつひとつ袋詰めされていくのを想像して幸せな気持ちになる。さすがは幸福を売り物にしているだけはあると感心しつつ、でも嘘でしょ、とあえて突き放して否定してみせた。嘘じゃないよとかぶせてくるのがみちるの口癖で、照れ隠しのように浴槽の中でふくみ笑いをしながらぶくぶくと口から泡を出す。樹肢に染みこむ栄養素が過度にならない程度に切り上げてユニットバスから出るとちょうど定時のアナウンスが寝室のスピーカーから聞こえてくる。
「消灯時間になりました。寮生のみなさんは明日の最適な労働のためにすみやかな睡眠をおすすめします」
 あかるは舌打ちをして樹身をふきながら明滅を始めた蛍光灯の明かりを頼りにベッドへと倒れ込む。今夜は床で寝ずに済むね、とすでに準備を整えたみちるがあくび交じりに揶揄すると灯りは完全に沈黙してあたりは暗闇に包まれる。急速に眠気が襲ってきてあかるは闇と同化する。窓ひとつない部屋で再び蛍光灯が点灯する頃にはもう朝で、ずきずきと脳みそに食い込んだ根が蠢いているような鈍痛で目を覚ます。おはようとみちるに声をかけられてもしばらくはベッドから起き上がれず、朝食のオートミールを口に運びながらもウトウトしている低調なあかるを無視してみちるが興奮気味にいうには三日後の晴天祭にはこの世の呪いがすべて拭い去られるのだそうだ。ロケットを空へと打ち上げてその爆風により呪いを全部吹き飛ばす。そして世界は初めて綺麗になるのだよ。あかるは眠気まなこをこすりながら聞き流す。この国で作られている呪いがその程度で払拭されるわけもない。どこもかしこも呪いが充満して、偏在して、産まれてくる子供はどこか何かが欠けてしまうほどなのだ。子供だけではない、大人も何かが欠けているから呪いなんて厄介なモノを作り続けているのだろう。あかるは自分の右樹肢に力をこめてみる。ちゃんと意思はヤドリギを伝わり繊維を収縮させスプーンを支える指先へと力を送っている。ミルクをすくって口元へ運び咀嚼しながら、いつか鼻が伸びるよ、と不満げにいうと、みちるはもちろん嘘じゃないよと取り繕う。定時に部屋を出て工場のラインへ向かう途中、壁に手をついてたたずんでいるかくるを見かける。ゆうべ浴槽に入らずに寝ちゃってさ、と答えるかくるのこめかみから脂汗が顎を伝って床へと落ちた。左膝から下が動かないだけでなく痛んで苦しそうだ。それじゃ無理だろ、休んでいなよ、というあかるの提案にかくるは首を振り今日さえしのげば大丈夫だと強引に口角を上げた。先週のミスでポイントが目減りしているのを気に病んでのことだろう。それ以上かくるに同情するつもりもないので先に工場へと向かった。あいつ、サボるチャンスをふいにしてるねぇ、と冗談めかしてみちるがいう。
「今日も一日頑張りましょう! 労働は美徳! 労働は正義! 労働は国民の義務です!」
 館内では声優であるこまどひらくの国営ラジオ番組が放送されており彼女のスタンダードナンバー「働かざる者食うべからず」が流れ始める。養鶏場のようにずらりと並んだ蛍光灯の下、ベルトコンベアで運ばれてくる部品の品質をチェックする。老朽化した鋳型によって型が崩れているモノを取り除く。誰かの樹指のかけらが混じっていたのでつまみ上げてゴミ箱へ捨てる。ラインの先には部品を組み合わせる者、呪詛を筆ペンで書き入れる者、それらを焼却炉で燃やす者、最後に煙をビニール袋に入れて包装する者がいる。みちるがいうには、呪いはこの国の経済を支える基幹産業なのだそうだ。原材料は国内自給率百パーセント、加工するための機器やメンテナンス、あかるたちのような労働力もこの呪い事業によって賄われている。隣国がわたあめやポン菓子を輸出しているように、我が国は呪いをもくもくと輸出することで生計を立てている、らしい。包装しきれない煙は外へと排出され窓のない建物内には一切入ってこない。常夜灯に照らされた屋内ではラジオ番組だけが時間の経過を感じさせてくれる。放送が正午の鐘によってさえぎられると、あかるは大きく伸びをして肩をほぐし、ごはん食べに行こうよ、とみちるの誘いに応えて他の作業員たちと共に食堂へと移動する。昼食の配給はビーフストロガノフとシーフードパスタにオニオンサラダ。あかるにとっては労働の対価として充分満足できるものだ。カウンターで受け取ってテーブルを探していると廊下側の席に座っているかくるを見つけた。今朝の様子が気になったので隣りに着くとかくるは、なんとかしのいだよと青い顔で苦笑した。かくるのトレイにはクラッカー三枚とトマトスープが乗っているだけだ。午前中の労働対価とすればかくるの具合が悪いのは一目瞭然で、午後から休んで風呂に浸かることを勧めても、いや、まあ、そうだね、と上の空の返事しかしない。やがて昼食も食べきらずに席を立ち食堂から出て行った。あいつの手、シワだらけだったな、とみちるがいうけれど、あかるは気が付かなかった。昼食後ラインへ戻るとアナウンスが流れ始める。
「作業員の皆さんは、本日、健康診断があります。順次呼び出しますので、ご協力をお願いします」
 定期健診は先週終えたばかりなので怪訝に感じた作業員たちがざわめいている。かくるの不調が脳裏をよぎった。いつも通りに作業をしながらあかるの番になり身構えて医務室へと向かったものの、検査は採血とカウンセラーによる問診。昨夜はよく眠れたか、頭痛や吐き気はあるか、ヤドリギに異常はないか、前もって正直に話すことを念押しされたので起床時の頭痛についてだけ報告して戻ってくると、みちるが声を潜めて耳元でささやいた。噂じゃ奇病が流行っているらしい、ヤドリギの突然変異だとか、いきなり枯れ始めたり、手足がもげて動けなくなったヤツもいるって。そんな話をどこから仕入れてくるのか、もしくはまた嘘をついているのか。ただ緊急の健康診断が行われた事実に他の作業員たちも動揺しているのでいつもの与太話とは違う。さらに翌日、かくるが仕事を休んだことでより信憑性が増した。もっとも保険医にかくるの様子を尋ねると噂とは無関係にかくるはもう何日も風呂に浸かっていないとのことだった。退勤後にかくるの部屋へ見舞いにいくとひとりベッドに横たわるかくるがぼんやりと天井を見つめている。昨日は気がつかなかったがかくるの樹皮はしおれて変色していた。なぜ風呂に入らないのか、そのままじゃ動けなくなるよと問うと、かくるはなんだか怖い気がして、とぽつりとつぶやく。確かにヤドリギがなければボクはまともに歩けないし、種を植え付けられて何年も経つから違和感なんてもう感じないけれども、別の呪いをかけられているような、ボクの中に入り込んで勝手に這い回っているような、今も誰がしゃべっているんだろう、窓がないからわからないんだよね、起きているのか夢を見ているのか、そもそもいつからここで働いているのか、国はなぜボクなんかを補助しているのか、眠るたびに不安になるんだ、晴天祭はきっと楽しくて、空を見たいから屋上には出たいな、かくるの言葉は支離滅裂になっていき、そのまま眠ってしまった。あかるはわたあめを差し入れにくると約束して部屋を出た。恐ろしいモノに触れたような気がした。明日打ち上げられるロケットがかくるの呪いも吹き飛ばしてくれるよ、とみちるが楽観的なことをいっている。
「まもなく消灯時間になります。晴天祭に備えて寮生は速やかに就寝の準備をしてください」
 浴槽に浸かってウトウトしている内に館内放送が流れ始めたので慌てて風呂から上がる。このアナウンス、こまどひらくの声だよね、とみちるがいうので、あかるはパンツをはきながら改めて聞き耳を立ててみた。ラジオ番組のような躁的な陽気さは皆無だけれど確かにこまどひらくの声質に似ている。また嘘だろ、とあかるはとぼけてみせた。何故かそれを認めたくなかった。みちるは鼻で笑って、ほらラジオドラマの「スナッチャー/奪われた街」のさ、マザーコンピューターの声もこまどひらくだろ、あれと同じ口調じゃないか、というけれども、ふっと消灯して室内が暗くなり強烈な睡魔が襲ってくるともうこまどひらくどころではなくなって仕方なくパンツ一枚でベッドへ潜り込んだ。明日が楽しみだな、というみちるのつぶやきを聴いて意識がなくなった。翌日、晴天祭のために半日で仕事は終わり、年に一度の珍しい青空を眺めようと多くの人々が外へと出ていく。あたりはいつも通りの曇天にクリームのような濃い霧で数メートル先も見通せない。ガスマスクをつけた人影が昼間も点いている街灯に照らされてちらちらと寄り添いささやき合いながら正午になるのを待っている。あかるは工場の屋上へと非常階段を足早に上がっていく。はやくはやくといつになくみちるが急かすので不本意ながら息を切らせて正午に間に合うように踊り場を駆け抜ける。かくるは上にいるだろうか。差し入れのわたがしを買うために屋台の行列に並んでいたのが遅れた原因だ。小雨の降る中、霧に覆われた屋上にはマスクで顔が判別できない何人もの影がたたずんで空を見上げている。彼らにかくるが混じっていないか探っているうちに正午の鐘が鳴り響き、同時に北方にマッチを擦ったような小さな明かりがぼんやりと灯り、上空を目指して昇り始める。白い皿のように静止した真上の太陽へとその小さな光点は吸い込まれていき、やがて強烈な光を発して砕け散る。たちまち乳白色の雲は天頂から押しのけられ、波紋が拡がるように青へと染め上げられていき、紺碧が地平線まで届く前に、すさまじい轟音が街中を震わせて駆け巡った。霧はまたたく間に吹き飛ばされていく。あかるは思わず耳を塞いだが、同時に、とうとうこの時が来た、というみちるの歓喜の声を聴いた。轟音の衝撃がひとしきり落ち着くと見たこともない真っ青な空と街の全景が眼前に広がっている。人々はマスクを脱ぎ捨て呪いのない空気を存分に肺へと飲み込んでいる。屋上の鉄柵の前に呆気にとられながら太陽を見つめているかくるの車椅子を見つけ、かくるもあかると目が合って、驚きを隠せない曖昧な笑顔をこちらへ向けてきたので、あかるも釣られて笑ってしまい、それが痙攣気味に引きつっているのに気付いた時には、かくるの頭部が風船のように徐々に膨らんでいき、やがて倍くらいの大きさになると割れて弾け飛んだのを、ただ理解が追いつかないままに眺めているしかなかった。同様に隣のビルの屋上にいた少年も、広場で空を見上げていた少女も、鐘楼で正午の鐘をついていた青年も、たくさんの頭蓋骨がたちまちふくれて粉々に砕け散った。悲鳴はポンポンと連鎖的に発せられる破裂音にかき消され、その乾いた音が眼下の広場だけでなく、遠く街中からも響いてくるので、おそらくは街のほとんどの頭部が爆発しているのだと思われ、だからあかるは、きりきりと耳鳴りに襲われて、頬の皮膚がみしみしと引き上げられる鈍い痛みを覚えながら、なるほど、自分もああなるのかと妙に得心して、炒られたトウモロコシが爆ぜるような音を立てて破裂する自身の頭部を半ば他人事として感知していた。まるでサプライズパーティーの開始を告げるクラッカーの騒音のように、周囲の阿鼻叫喚を尻目に、あっけらかんとした陽気さに包まれて、吹き飛んでいった頭蓋からは、いくつものわた帽子がふわふわと身体から立ち昇り、青空へと向かっていく。みちるはこれまでにない解放感を覚え、わた帽子が風にまかれて四方へと広がっていく、それぞれに少しずつ宿っている意識が、つないでいた手足をばらばらと解き放していくのを、水面に落ちた墨汁が溶けて散り散りに拡散してしまうように、もう二度とひとつには戻れないことに、一抹の寂しさを感じたりもした。たくさんのみちるは偏西風に導かれフォッサマグナを越えて隣国への束の間の自由を満喫する。

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