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村上春樹「レキシントンの幽霊」を読む #2

友人の読書会テキストである、村上春樹の「レキシントンの幽霊」を読み始めた。ただしぼくは参加できないので、テキストだけを読むことにしたのだ。

この作品は、構成上3つのパートに分かれている。
ひとつは、主人公の「僕」の友人であるケイシーから、レキシントンにある彼の家の留守番を依頼されるくだり。
もうひとつは、その友人宅で文字通り幽霊らしき〈現象〉に遭遇するくだり。
最後は、その〈現象〉の総括。

最初のパートはこうはじまる。

これは数年前に実際に起こったことである。事情があって、人物の名前だけは変えたけれど、それ以外は事実だ。

この作品が小説である以上、このエクスキューズは〈嘘〉だと見ておいた方がいいという選択肢も残しておくべきだろう。小説家は嘘が得意な職業なのだから。

***

「僕」はマサチューセッツ州ケンブリッジに住んでいたころ、ひとりの初老の建築家と知り合う。彼の名前はここではケイシーとされている。
ふだんは読者との親密な関係を好まない「僕」だが、例外的にケイシーとは親しくなり何回か行き来する間柄になった。家に行くと、《四羽の青カケス》と《大型のマスチフ犬》が、主人公を迎えてくれた。

「僕」がそんな間柄になったのは、ケイシーの住まいが自宅の近くでもあり彼の性格がスマートであることもあるが、何と言っても彼の持つ《古いジャズ・レコードの見事なコレクション》に惹かれたからだった。

古いジャズ・レコード・コレクションがからんでくると、まるで馬が特別な樹の匂いに魅せられるように、僕は抵抗力を失ってしまうのだ。

そのレコードのコレクションは、ケイシーが亡くなった父親から譲り受けたものだった。

ほとんどのレコードが初版オリジナルで、コンディションもよかった。盤にはスクラッチひとつなく、ジャケットにも傷みがなかった。ほとんど奇跡に近い。よほど大事に保管し、まるで赤ん坊をお湯にいれるみたいに、一枚一枚大事に扱っていたのだろう。

あるとき、1週間ほど自分の家の留守番をしてくれないかと、ケイシーから持ちかけられる。彼は自分の仕事で出張しなければならなくなったのだ。
食料も冷蔵庫にたっぷり用意しておくし、犬の世話はお願いしたいが、後は遠慮なくやってくれということだった。もちろん、レコードも好きに聴いていいという申し出だった。
「僕」に断る理由はない。

僕は着替えとマッキントッシュ・パワーブックと数冊の本を持って、金曜日の昼過ぎにケイシーの家に行った。ケイシーは荷造りを終えて、今からタクシーを呼ぼうかというところだった。

こうして、「僕」はケイシーの家の留守番をすることとなった。快適で順調な留守番仕事のはずだった、その夜までは。(つづく)

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