肩肘張らずに、畳でゴロゴロしながら考えるので充分でした
新盆ということで、今日から祖母の家がある長野に来ている。
連日の猛暑は変わりないのだが、山の途中にポツリと建っているこの家はなんだか涼しい。気持ちのいい風が吹くし、なにより蒸していない。
新盆でなくとも夏は毎年ここに来て、ただダラダラと景色をみて涼んでいる。
せっかくの長野なのだからどこか出掛けたいとも思うのだが、スーパーもコンビニも車を走らせなければ行けないような田舎だ。周りは畑しかない。ついでに車を運転する父親はそんなに行動派ではない。
だから諦めて、いつもこの穏やかな時間は本を持ち込んで過ごしている。
少し前は動きたい、出掛けたいと不満ばかり感じていたのだが、最近はすっかり諦めてしまった。
「もういいや」と思ってしまえば身体も琴線が切れたみたいに緩んで、穏やかに、楽になる。
noteを書くようになってから「やりたいこと」や「自分を知る、自信を持つ」といった類のことに躍起になってきた気がする。理想に描く自分を追いかけて、キラキラした気持ちで初めの一歩を踏み出して。
でもこうして、自然に任せてのんびりする自分も好きだ。
多くのビジネス書で口を揃えていうのは、「すぐ行動しろ」ということだ。確かに行動力のある人はエネルギッシュである。いかにも人生を謳歌してますって感じ。
私だってそんなパワー溢れた自分に憧れている。今の仕事をする前の夢は「東京駅のあたりを颯爽とヒールで歩く、スタイルのいいキャリアウーマン」だった。どの業種にも興味が湧かなかったくせに。
でも、いい意味でも悪い意味でも、理想と現実は違くて。
いつも動き回るような、そんな自分でありたいと願うために、やりたいことを考えた時も理想の自分でイメージしてしまうのだ。
そうして、理想に近づけようとしているうちに気持ちが潰れる。
だから「やりたいこと」より「肩の力を抜いてやりたいこと」を探して行きたい。
別にどんなにベストセラー本に「行動しろ」と急かされたって、変な無理の仕方をしてしまえば自分の人生で損をする。
「働きたくない」「楽がしたい」
いいじゃない。そう思うのなら。
そうやって気持ちの余裕を作っていければ、幸せな気持ちで眠りにつけますよ。
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