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涙が出るということは、こういうこと?を基準にするのは早計と思った話

スピリチュアル話です。

スピにハマった経験があった人は、涙について何かを感じたことがあるんじゃなかろうか。

例えば・・

涙が出るということは・・つまりこういうこと??

涙が出るってことは、これが本当に私が求めていること・・??

みたいに、涙をある種の本来の自分を知るバロメーターとして採用する行為。

あと、自分ではよくわからないけどやたら泣ける・・などなど。

でも涙が出るからこれが本物だ!と決めつけるのはちょっと違うのかもなって思ったのです。なぜそう思ったのか?


涙が出るということ、を基準にするのは早計と思った話

過去にこういったことがありました。

それは、とあるスピ関連の本を読んだ時のこと。

当時の私はすごく病んでいました。将来の自分は現状の自分、ネガティブで辛くて、スピで何かを頼っていけばいいと思っていました。

スピにハマった体験は下記に詳しく書きました。

その本を読んでいた時、それはそれは温かい言葉と内容、心が洗われるような気持ちになりました。

本で涙を流したことなんて滅多にないため、その驚きもありました。

自分が涙を流しているってことはここに書かれていることは本当?真理?なんて思っちゃうほど。

けど、今なんでその自分の考えを否定するようになったかというと、

今ではその本に書いてあることを読んでも心が全く動かないからです。

その本を否定したい意図はりませんし、その時点での私的にはそれが正解だったのだと思います。

その当時はその本に書いてあることが本当だと思っていた、今でもどうでもいいと思っている←この違いなんだと思います。

つまり、人はその時々で価値観や感じ方、何を信じるか変わってくる、そうすると感情も不随して揺れ動く。だから涙単体で「これは本当だ」「私が求めている真実だ」と決めつけるのは早計だなって思った話です。

ちっさいことですが、これらいの俯瞰さ?は持っていたいですよね。当時の私はなかった。

涙って滅多に流さないし、そこまで大きく感情が揺らぐなんてこれは・・!と自分の中では大イベントのように感じる人、多いんじゃないかなって思った。

のめり込めすぎないゆるさが大事と思った

俯瞰、心に隙間、頭に隙間、大事と思いました。

きっとスピにハマった過去→今はあまり・・・ な過程を経験したことがある人は、思ったことがあるはず。

「この人、周りが見えていないような気が・・」と思ってしまう人に遭遇する経験。

おそらく私もそうだったと思います。

嘘か真実かなんて私にはわかりません。私が信じていないことも、もしかしたら真実かもしれないし、逆もあるでしょう。

でも、だからこそ隙間って大事ですよね。これはこうだ!!と決めつけて頭がガッチガチになるとそのあとの反動が強烈です。

信じる信じないが極端に分かれるスピジャンルだからこそ、これって本当・・?と俯瞰して物事見れることが本当に本当に本当に大事よなって思ったのでした〜

ということで今回はこの辺で〜

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