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マチフェスへの道コラム③やせがへる負けるな一茶これにあり

なぜマチフェスに行くのか?答えは簡単だ。「高校生以下無料のフェスだから」もちろん自分は高校生(以下)ではないのでチケット代を払う。主催者の立場で考えてみよう。利益を、若い世代へ還元することを最もシンプルな形で実践しているのだ。僕はその心意気に共鳴し賛同する。それこそが未来への投資だと信じているから。斯く言う自分も現役です、というかシンガーソングライターの端くれなのだが30代になった今は年に1曲でもアイデアが浮かんだら良い方で、10代20代ほどの閃きと意欲は失われたように感じる。いや、気のせいかも。元々こんなんだったかも。しかし明らかに、人生で目を閉じマイクに向かっている時間とダラダラ音楽を聴いている時間の差は拡いていくばかりだ。地元でバンドを組んで楽しくやっていたあの頃に戻りたいとは思わないが、その頃の自分のように田舎でくすぶっているティーンエイジャーにはなるべく早くTeenage Funclubとの出会いを手助けしたい。実際に声を掛けてあげられるとしたら「トレインスポッティングのDVDでなくサントラを先ず買いなさい。君がジミヘンに目覚めるのはもうちょっと後になるかも。でも必ず目覚めるから!あとレッチリのバンドT買うなら1着でエエ。2着も3着もいらん」と言ってやりたい。叱言が混じってしまったイカンイカン。

マチフェスと関係あるのか無いのか本文タイトルについて。小林一茶が生きていた時代、お祭りの露店に並んで闘蛙(とうけい?)という見世物が流行っていたらしい。オスがメスを奪い合う習性を利用して、円卓のような舞台でオスのカエルが押し合いへし合いするのを観戦して楽しんだそうな。一茶はひときわ痩せたカエルが土俵から落っこちないよう踏ん張っているのを見て自分自身に投影したのだろう。(ひょっとしたらその穴馬ならぬ、穴蛙に多少小銭を賭けていたのかもしれない。)とにかく弱いものを応援したくなるのだ。弱いものを応援せずにはいられない。番狂わせに拳を突き上げたり頭を抱えたりする人たちとは違う次元で、一茶は優しい。「僕らは薄着で笑ってる」イマジンの訳詞にこんなフレーズを織り込んだ忌野清志郎ぐらい優しい人だったのではないだろうか。

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