![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130478194/rectangle_large_type_2_582d76641e78c4b029aac1212658ccae.png?width=1200)
アサーションで解決できること
ちょっと前にアサーションについて考えて本を読んだ。
これはとてもわかりやすかった、多分図書館で借りれる
アサーションとは一言でまとめると「相手のことを思いやったコミュニケーション方法」だと自分は定義した。相手のことを思いやるとはお互いの関係性において生産性が高いということ。
生産性の何が高い低いの定義は個人の中で変わってくるので、それをコミュニケーション(非言語含め)で調整して課題解決しましょうねということだと思っている。
そこで最近ガンダムSEEDFREEDOMをみて、アサーションすれば争いは起こらないのかという疑問が頭に浮かんだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1707605459806-NNNQ8jCy0X.jpg?width=1200)
登場人物全員自分の考えに信念を持ってて、話し合いとかいうレベルでは無かった。キラも中盤で自分の行動に対し迷うが、それは自分の考えが正しいか不安になっており、相手と合意形成する気は無かったように思う。映画の尺もあるが、あの世界の倫理観では気に入らないことがあるとすぐ核を打つのでそんなゆっくりしてる暇ねーよということもある。
上記のことから、アサーションは争いを解決する可能性はあるが、そのためにはある程度余裕が必要なのだと思う。
ガンダムSEEDの世界ではそもそも地球、宇宙レベルの人種差別が起こっている状態でどちらの陣営も相手を受け入れる心の余裕がない。心の余裕がないから自分の思い込みだけですぐ行動してしまう。
現代に話は飛ぶが、今はネットとかですぐ情報が「一人で」得られるから、自分の好きな情報だけを選んで取得してしまいがちになった。全員同じニュースを見て同じ感想を持っている社会もどうかと思うが。
個性が認められる社会になりつつあるので、その分自分の行動に社会の中での責任を持つっことの判断が求められていると考えた。
結論、アニメとか漫画の世界ではアサーションできる前提だと話が終わってしまう(シンジ君がエヴァに乗らなくなる)ので面白くなくなる。アサーションができていないもどかしさを感じるのもそういったファンタジーの楽しみ方なのだと思う。自分はどちらかというともどかしい方が好き。
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?