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弥生三月、「抱えること」をやめたあの日のこと
2021.3.26は朝から母の入浴のため母が住むマンションに。そして、この日は午前中に仕事があったので母が浴室から出てくるのを見届けずマンションを後にした。
「ひとりで着がえできるから、はよ行っといでー」というその言葉に後押しされて仕事へ行ってしまったのだ。
放っておくと母は何日もお風呂に入らない。
仕事に出かける前にマンションに寄って母をお風呂に入れよう。前の日から何度も「朝、お風呂に入るからね。」と念押し。
でも、思って通りに事は運ばずどんどん時間が過ぎていくという、これも日常茶飯事なこと。
怒らない、怒らないと言い聞かせて、作り笑いも疲れる。
そして、とうとう仕事に出かけないといけない時間。
まだ、バスタブに気持ち良さそうに浸かっているので「大丈夫?」と聞いた。
そして、「はよ、行っといでー」と言われて出かけてしまった。
その後。
仕事を終えて電車に乗ったとたん、嫌な予感。
あれから、5時間が経っている。いや、さすがに着替えて昼寝でもしてるに違いない。
が、バスタブに浸かっている母の姿がフラッシュバック。
絶対にそうであって欲しくないけど、こういう時は経験的に嫌な予感があたることも知っている。
っで、やっぱりバスタブ中に母はいた。
約6時間。
追い焚き機能がないタイプのバスタブの中で体育座りをして、「あぁ、来てくれたん?助かったわー。立ち上がれへんねん。」と微笑む。
のぼせそうになったらお湯を流して、寒くなってきたらお湯を張って…を繰り返し繰り返し6時間。認知症だったはずの母のとっさの知恵に感服しつつ、仕事を優先して結果的に6時間も放置してしまったことの後ろめたさと、あー生きてくれてて良かったという安堵の気持ちと…
この時、私は抱えることをやめた。
母のことを介護している風に思っていたけれど「なんちゃって」よね。自分ができてないことを認めて、できる人にお願いすることにした。独り暮らしも限界にきてる。
「施設に入ってもらおう。」
ここに母の意思はなく、「安全を優先」した私の独断だ。
これからはみんなで世話するからね、と心底思えたのだった。
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