ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」を読みすすめる(第四章)
NFT、ひいてはデジタルアート、メディアアートを理解するために、メディアの歴史について知りたいと思い「複製技術時代の芸術作品」を読みすすめている。
『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』を使用し、この中に「複製技術時代の芸術作品」が収録されている。
第四章
この章は前回の三章と比べると読みやすかった。
以下まとめ。
・アウラとは何か?
=「時間と空間とが独特にもつれあってひとつになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象」
=「ある夏の午後、ゆったりと憩いながら、地平に横たわる山脈なり、憩う者に影を投げかけてくる木の枝なりを、目で追うこと」
・現在アウラは凋落している
・大衆運動が強まってきているから
・大衆は事物を自分に「近づける」ことに情熱的
・事象の複製を手に入れることにより、事象の一回性を克服しようとする
・絵画や彫刻の特徴:一回性と耐久性
・複製の特徴:一時性と反復性
・アウラの崩壊は「世界における平等への感覚」を大いに発達させた現代の知覚の特徴→一回限りのものも平等になる
第三章で「アウラ」の定義を「事物の権威、事実に伝えられている重み」であり、「複製技術時代の芸術作品において失われていくもの」としていたが、本章では説明が追加され、「時間と空間」、「一回限りの現象」というキーワードが登場した。
本章を読んで頭に浮かんだのはダ・ヴィンチの描いた傑作「モナ・リザ」だ。
パリのルーブル美術館で「モナ・リザ」を一度だけ見たことがあるのだが、正直に言うと全く感動しなかった。
「こんな小さかったんだ」と、絵自体よりも絵のサイズの方が気になったぐらいだ。
それは事前に、歴史や美術の教科書、またはテレビ番組で「モナ・リザ」を何度も見ていたからで、それにより「アウラ」がなくなっていたのかもしれないと思い至った。
だとしたら損をしている気分になったが、「複製技術時代の芸術作品」を読み進め、自分への影響をより理解したい。
知覚の変化:現代について
先日興味深い動画を見た。
岡田斗司夫氏による「コロナ戦争とホワイト革命」についてだ。
岡田氏いわく、戦争前と戦争後では人の価値観は大きく変わったとのこと。
戦前は「天皇・国家」が価値観の中心だったのに対して、戦後は「個人主義・リベラリズム」を人々は大切にした。
今回のコロナ騒動も戦争と同じぐらいのインパクトがあり、コロナ前と後では、人々の価値観は大きく変わっていく。
その価値観を表すことばが「ホワイト社会」で、数年後に訪れるであろうと岡田氏は予言する。
「ホワイト社会」は何かというと、「見た目が良いものは正しい」という価値観で、うらを返せば「汚いものは正しくない」という考え方だ。
「汚いもの」とは差別発言や体罰などで、テレビやネットではこれらが排除されていく方向に向かう。
意外な事実として挙げられていたのが、ネトウヨなど2チェンネルやSNSでのネガティブ発言をしている人たちは、「40代以上の普通に働いている人」が多かったといういうもの。
その理由は、彼らが「汚いものの中に本質がある」という価値観を持った世代だからだ。
金田一耕助をはじめとする昔の主人公たちは、みすぼらしい格好をした人が多かった。
しかし現在、若い世代にウケるにはキャラクターは清潔で、美男美女でなければいけない。
さらに今後、SNSではネガティブな発言へのミュートが当たり前となり、それは清潔感を保つことと同義となる。
岡田氏の動画の内容を図解したものがこちら。
筋トレブームも、プチ整形も、ホワイトニングも、「見た目が良いものは正しい」という価値観がすでに現れはじめていたという証拠だと思った。
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