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夫婦で『ユング自伝』を読む 読書会#3

自伝本はいろいろとあるが、心理学者自らが携わった自伝というは珍しいのではないのだろうか。

そんな稀有な本が『ユング自伝』で、一部はユングへのインタビューによって別の者が書き、一部はユング自身によって書かれたものとなる。

「私の一生は、無意識の自己実現の物語である。」とプロローグに書かれているように、ユングの無意識への探求は、自身の夢を起点とした描かれる。

本を読む理由

ユング自伝』を選んだ理由は、ユングが無意識を探求するにあたり、別分野のものから多大な影響を受けているからだ。

それは例えば、錬金術や瞑想、マンダラといった、一見すると怪しいものたちで、師であるフロイトからは辞めるように言われていた。

その研究の成果は『心理学と錬金術 』や、『黄金の華の秘密』といった著作に結実することになった。

妻がこの本を選んだのだが、前回の『現代語訳 般若心経』を選んだあと、「宗教」というテーマで直感的にピンときたからということだ。

心理学者のユングの自伝は、「宗教」というテーマに入らないのでは?と思っていたが、ユングの父親はプロテスタントの牧師で、ユングは幼いときからキリスト教の教えに触れ、『ユング自伝』では彼自身のキリスト教への想いが赤裸々に述べられていた。

妻の直感の鋭さに驚かされた。

ユングの知的探究心に驚かされる

本書の英語の原題は『Momories, Dreams, Reflections』であり、日本語にすると『記憶、夢、内省』ということになるだろう。

真ん中に「夢」とあるが、彼の幼少期に見た夢がいかに彼の人生に影響を与えてきたのかがわかる内容だ。

夢で見た内容に怯え、夜眠れなくなったり、夢で見た内容の意味を知るために本で答えを探したりなど、夢と現実世界とが地続きである感じを味わえる。

例えば、ユングが記憶している一番古い記憶は彼が3歳か4歳の時に見た夢で、玉座に丸太が立っており、その丸太はよく見ると肉と皮でできており、上に顔のようなものがついている姿だったそうだ。

そして母親が登場し、「あれが人喰いよ」とユングに告げ、ユングは恐ろしくなり夢から覚め、以降恐ろしくて数日眠りにつくことができなかった。

その後、夢で出てきた人喰いは何者なのかを、書物の中から答えを探そうと決意し、父が牧師だったため、家にあったキリスト教の本を物色するようになった。

答えを探るなかでなぞは深まり、今度は「神は善でもあるが悪でもある」という疑いがユングの中で湧き上がってきた。

アダムとイヴを唆すヘビ(悪魔)も神が創ったものだったので、アダムとイヴの楽園追放も神が意図したものではないのかというのが理由だ。

その答えを探すために、キリスト教の本では答えが見つからなかったので、文学や哲学書に手を出し、ついにはゲーテの『ファウスト』やショーペンハウエルとの出会いを果たす。

ユングのすごいところは、調べるだけでは終わらず、『ファウスト』やショーペンハウエルに対して批判を加えているところだ。

例えば『ファウスト』に関しては、「私はファウストの行動を残念に思った。」といい、ショーペンハウエルに対しては「ショーペンハウエルの暗い世界像に私は完全に賛成したが、しかし彼の問題の解決の仕方にまで賛成したわけではない。」や「しかし私は、盲目的な意志を逆転させるには、知性がそれにそのイメージを突きつけさえすればよいという彼の理論にはがっかりさせられた。」とどこに賛成し、どこに反対するのかをキッパリと述べている。

上巻の前半を読み終えたのが、上記のように、ユング自身が見た夢を起点として、「夢」→「リサーチ」→「批判」という3つのサイクルをどんどん回す、ユングの「知的好奇心の高さ」に驚かされる。

自分を振り返ると、一番古い夢の記憶も覚えておらず、見た夢の意味を調べてみたという記憶もない。また、もし調べたとしても、過去の偉人のいったことに批判を加えるような判断力も持ち合わせていなかった。

仏教の「空」という概念に通じる?

妻が一番感銘を受けていたのが、ユングの以下の言葉だ。

「無意識の中にあるものはすべて、外界に向かって現れることを欲しており、人格もまた、その無意識的状況から発達し、自らを全体として体験することを望んでいる。」

前回読んだ『現代語訳 般若心経』で語られた全体性、つまり「空」の思想と似たものを感じるからだ。

ユングの学問的発見の経緯や背景についてはまだ勉強不足だが、自伝を読み進める中で、仏教から影響を受けたのか、また、「空」という概念と同じことを言っているのかどうかを確認したい。

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