見出し画像

笑顔でいてくれるだけでいいよね

昨夜は月に1度開催されている不登校の保護者の会に参加しました。まだ2回目なので、よく分かっていないところもありますが、不登校のお子さんを育てたご経験のあるかたが主催されていて、不登校の子どもを持つ保護者が自由に参加できる会になっています。かつて小学校の先生だった、というかたも参加されてるみたい。

まだ2回の参加ではありますが、この会に参加することで、私自身とても救われています。なにか特別な企画があるわけではないんです。ただ、関係者が集まって、お茶やお菓子をはさんでなんとなくお互いの近況を語るだけ。でも、とても心地いい。

これは決して妻を責めているわけではないのですが、私と妻とのあいだには長男の不登校に対する考えにかなりのギャップがあります。すごく大雑把に説明すると妻は不登校に寛容すぎて、小学校なんて無理して行くところじゃないと達観しています。一方の私は、まだそこまでの達観ができずにいます。

なので長男の不登校がはじまった直後は、どうして妻が自分と同じように考え行動してくれないのかということでずいぶんとストレスを抱えていました。何度か話し合いもしたのですが、妻とのギャップはなかなかうまらない。でも、繰り返しになりますが、これは妻を責めているわけじゃないんです。むしろ私と同じタイプの妻じゃなくて、長男が救われている部分も多分にあり、よかったとさえ思っています。

だけど、だからといって私がストレスを抱えないかというとそんな簡単な話でもありません。不登校って、なんというか理性では対処できないようなところがあるんですよ。私だって自分の子どもじゃなかったら、

「まずはお子さんの気持ちを第一に考えてあげて、いまは充電期間だと割り切って、不登校を受け入れましょうよ」

なんて語れそうです。頭では分かっているんです。でも実際に自分の子が不登校だと反射的にイラッとしたり、不安になったり、なんとか社会と関わりを持たせようとやっきになるんです。

で、保護者の会に話が戻りますが、ここに行くと私と同じような考えをしているかたにたくさん出会えて、ただお話しをするだけでストレスが解消されるんです。

私はかつて自分のストレスを解消するために妻に共感を求めていました。でもそれは無意味で(妻の悪口じゃないですよ)私と同じような考えを持つ人じゃないと共感はできないんですよね、やっぱり。

会に参加することで、長男の不登校がなくなるほうに劇的に変化するわけじゃないんです。そうではなくて、私自身の気持ちが楽になり、結果的にありのままの長男を受け入れられるようになる。

不登校の会で主催者のかたが何度も言われるのは、

子どもの笑顔を見るために私はがんばっている

という言葉。特に初回の参加で言われたときには、その後、長男の不登校を受け入れられるようになって、長男との関係性も良好になりました。

不登校になるとやっぱり何らかの形で学校に行かせようとしたり、学校ではないとしてもフリースクールに行かせたりと保護者は奮闘しがちですよね。それ自体は決して悪いことじゃないんですが、時期尚早だと空回りしてばかりの状況に保護者の顔が険しくなり、子どものほうも親の期待に応えられないなどの理由でふさぎこんでいくようです。

なので、不登校であっても、いまの長男に笑顔があるのなら、とりあえずはそれでいっかと考えることは私の気持ちを楽にして、救ってくれます。

月に一度の集まりなので、会の直後はうまく長男と接することができていても、日を追うごとにストレスはたまってきます。しんどいなー限界だなーと思うころに次の会があって、そこでまたリセットするような、そんな感じで参加しています。

いままで、公的なカウンセリング、私的なカウンセリングをいくつか受けましたが、この保護者の会がいまのところ一番私に合っているようです。やはり当事者の人とは心が通いやすいです。

ということでこれから1ヶ月間、また長男と併走していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?