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自然教室、元素、チャレンジタッチ、そしてひたすら待つということ


最近の我が家の近況

長女(小5)

10月に行われる自然教室に参加したいと言う。あまりの変化に父のほうが困惑。いや、もちろんうれしいのだけれど、泊り、宿泊だよ!?
週1の登校日に、あまりの暑さでプールが中止となって、急きょ自然教室の説明になったらしい。その説明を長女も聞いて、参加してみようとなったみたい。
また、この自然教室の説明会のときに教室のなかに入れたという。廊下から授業の様子を見ることができるようになったのが、たぶん1か月くらい前だったと思うのだけど、もう教室に入れたんだね。すごい!

長男(中2)

我が家にあった元素の本(たぶん妻が買ったもの)を読んで元素に興味を持つ。父が元素を知ったのは高校生のときだから、ずいぶんと早く興味をもったものだ。というか、父は別に元素に興味を抱いたことはなく、化学の授業で習っただけだ。とすると「学ぶ」ってなんなんだろうって考えさせられる。誤解のないように言っておくと、公共教育に意味がないとかそういう話じゃ全然ないです。公共教育を通じて、興味を持つことも多分にあるでしょう。
長男が、元素の本を見ながら、それをノートに書き写している。まじで驚いたよ父は。

次男(小2)

学習らしい学習を1年強、ほぼ何もしてこなかった。上ふたりの経験があったとしても、父としては不安だった。だけど、私がアクションを起こすのは逆効果ばかりだったから(長男・長女のときの経験上)とりあえず次男の学習のことは考えないことにしていた。(余談だが、考えないようにすることはとても難しい)
その次男が、ベネッセのチャレンジタッチで学習を始めた。短い時間ではあるけれど、ほぼ習慣化している。

妻はよく次男とゲームを楽しんでいたのだが、その姿を見ているとき、正直、もう少し学習を促したらどうかとか、次男の学力が気にならないのか、と思っていた。ただ、チャレンジタッチをはじめたいま、次男は私とではなく妻と学習するのを好む(父が嫌われているわけではない、たぶん)

少なくとも我が家において、不登校の子どもたちに対して、

  • 様々な選択肢を提示するとか、

  • 現実の大変さを伝えるとか、

  • 学習をうながすとか

は効果がないどころが、マイナスの効果で、ただひたすら待つ、しかも楽しく過ごすということがとても大事だったと思う。そうして時が満ちたときに、ようやく様々な選択肢を示すことに意味が出てきたりする。父として多少は役に立てたのかなと思うのは、不登校のあいだも学校とのつながりを切らさなかったことだろうか。ただ、これは人によってはストレスになるだろうから、だれもが実践すべきことでもないだろう。(実際、妻は学校との接点がストレスになっている)

また、待つというのも、1週間や1か月ではなく、年単位だったりするので、話はそう単純なことでもない。

昨夜は妻が体調を崩していて、「今日はチャレンジタッチおやすみ~」と言っていたが次男だったが、なんだかんだで自分からチャレンジタッチをはじめて、内容が分からないところを娘が教えてあげてて、もう父として言うことはなにもないです。

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