自分を高めることで、自分を大事にする
僕は都内の卓球クラブに勤めているケアリングコーチのほうせいです。
最近、お医者さんからコロナの陽性反応という告知をいただき、10日間の自宅待機を命じられ、あまりにも暇なため日記を書いている。
最初のころはあまりの高熱と倦怠感でスマホ持てない状況だったのに、今ではすっかり元気になって(ちょっと微熱)、やることもないので楽しみとしてはご飯を食べることかNetflixで映画鑑賞をしているくらい。
最近すごく思うことがある。
「自分を高めることとは、自分を大事にするということ」
人に対して親切にしたり、人を思いやった行動を取るってすごく難しい。でも、それができてる時ってもともと気分がいい時だったりする。
僕は今年に入って久しぶりにお年玉をもらった。去年はもらえなかったので、もうもらえないものだと思って大人になった実感を噛み締めていたけれど、お年玉をもらった時って心がパーッと明るくなる感じがする。
単純にお金もらえて嬉しいという気持ちもあるんだけど、なんというか、毎年変わる干支に合わせたお年玉の袋とか、照れ臭そうなお父さんの顔とか、「え、あげんの!」という物悲しさがあるお母さんの一言とか、その時だけはいろんなものがあいまって嬉しいという感情が象(かたど)られている気がする。
そんな”嬉しい貯金”がたくさん溜まってる時って、なんだか人にお裾分けしたくなる。
逆に、忙しさの中で生活してる時って、楽しむことより睡眠時間を気にしていたり、身近な人の嫌なところばかりが目についてしまう。充実してるけど、何か足りないような感覚。。
だからこそ自分を高める=自分を大事にする時間が必要なのかもしれない。
食事しかり、運動しかり、身の回りのケアも大事。僕は高校生の時に髪の毛のセットがするのがめちゃくちゃ好きだった。朝早起きして1時間くらいかけてセットしていたこともある。
最初は友達に教わってワックスをつけてるだけだったけど、毎日やっていく上でだんだん「アイロン使ってみようかな…」とか「最初にドライヤーで形を整えるのか!」とか「スプレーで固めたら午後の授業までツンツンが保たれるぞ!」みたいに次々変わっていく自分の髪の毛を見るのが楽しみでしょうがなかった。
でも、なぜここまでハマったかというと、高校の時どうしようもないくらいに僕が坊主だったから。うちの卓球部はすごく厳しくて部員は坊主に恋愛禁止に色々と禁止事項が多くて、峯岸さん騒動もあったせいか友達に「AKBかっ!」って突っ込まれたこともある。
話は逸れたけど、コロナになって自分の部屋とトイレの往復だけの生活に飽きてきた僕は妹のアイロンを使って久しぶりに髪をいじっていた。本当は高いものじゃないし買おうかな?と思っていたけど、いい流れの中にいつる時はなぜかこういうことがある。
やっぱり少しいじるともっといじりたくなるのか、家にあるもの+足りないものはなるべく安くAmazonで取り揃えた。今日はアイロンのみだけど髪にメリハリが出ていつものボサボサ頭とはお別れを告げた。
考えてみれば最近の朝はギリギリに起きて、大急ぎでご飯を流し込み、出発の準備を適当に終わらせて「早く着けばオッケー!」みたいな生活を送っていた。だからといって毎日をいきなりアップデートさせるわけではなく、気分転換程度に髪の毛をいじれたらなと思った。
明日もよろしく!
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