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選択を諦めた世界で生まれた、政治とオカルトの共通点

とある昼下りのこと。

あの事件があったからか、安倍元総理の生い立ちから政治家としての一生をまとめたVTRが流れていたんです。

何気なく横目で見ていたけど、ここでふと思った。
『政治家って胡散臭いな…』



・オカルトと似てる

政治に無関心の若者が増えている。

かくいう僕もギリギリ若者なんだけど、投票には行くしニュースはチェックしている。そんな僕だから政治の話をするのは嫌いではないのだけれど、どこか小っ恥ずかしさがある気がしてならないのです。

その感覚って、オカルトの話をするときとそっくりなんですよ。

ちなみに、僕はオカルトが好きです。
都市伝説、UMA、心霊など、この世に存在するかしないか分からないくらいがエンタメとして丁度いい。
過度なリアルさはいらないんです。

でも、やっぱりオカルトって未だに眉唾だし、ギリギリサブカルの仲間入りできていない気がするし、陰謀論とかになるとそりゃあもう胸を張って言えるシーンなんて無いわけで。

政治の話をするときのモヤモヤは、オカルトを話すときのモヤモヤと同じだって気がついてしまったんです。

・政治って血筋でできるもんなの?

違和感を覚えたのは、安倍元総理の生い立ちのシーンで発せられた『優秀な政治家一族』という言葉。

確かに世襲議員も多いしロイヤルファミリー的なものがあるのは知っているが、ふと冷静になってしまったのです。

日本においては、伝統芸能や老舗〇〇店みたいなところでよく見かける『世襲』。あとは単純に実家を継ぐことも世襲と言えるかもしれない。
これらに言えることは『安定』が優先されるということだろう。あるいは『継続』と言い換えてもいいかもしれない。

さらに、親は最初から継がせることを意識している事が多いだろう。
だから知識や経験を積ませ、後継ぎとして教育することになる。

語弊を恐れずに言うならば、『経験や教育次第では誰でも後を継げる』とも解釈できるのが『世襲』なのだと思う。

もちろん、血を引いていても向き不向きは当然あるし、本人の努力なしにはたどり着けないというのは理解の上である。
ただし、身体的特徴に比べて、『血筋』の影響は薄いのではないだろうか。というか影響しているのは血筋ではなく『環境』なのではなかろうか。
そう思ったんです。

・世襲議員って誰が嬉しいんだっけ?

じゃあなんで世襲議員が成り立ってんだって話になると思うんですよね。
理由は『世襲』に詰まってる。
世襲の目的は『安定』や『継続』だと言った通り、それを望む人がいるから世襲議員が成り立つってだけの話。

とある親政治家の政治信条があって、それを息子娘が引き継いでいく。
その親政治家を応援してた国民も、心境の変化が無ければ世襲議員に入れたくなるよね。分かる。
だって親と同じこと言ってくれそうな気がするし。
ということは、政党としても世襲議員をヨイショしたほうが良いよね。

たぶんこれだけの理由なんだと思う。
もちろん本人がポンコツなら意味無いけど…とか思ったけど普通にポンコツ世襲議員いるな、なんて。

あ、でも僕らみたいな若者は親政治家のことをまともに知らないし、いきなり世襲議員から見せられるわけですよ。しかも『あの元総理の息子』とか言われてね。
はーなんかすごそうだね、とは思うけど、そこに気持ちもへったくれもないよね。だって知らんし。

何が言いたいかって、世襲議員って別に僕たち若者にとっては嬉しいものじゃないんですよ。
年を取ったら『あの総理の息子なら投票しようかな』とか思うのかもしれないけどね。

でもね、だからこそ胡散臭いんです。
周りの大人が『あの人の息子なんだよ!すごいね!』なんて言ってくるから胡散臭さと嫌悪感が5倍増しくらいになる。

良くも悪くも、『蛙の子は蛙』の時代は終わったのかもしれないですね。
僕たちは『環境に甘えるな』って言われて育ったから。自分でどうにかしなきゃいけなかった僕たちにとって、『世襲』は天からの贈り物に見えてしまうのかもしれない。これは決して褒めてないということだけは、申し添えておきたい。

世襲の話が長くなってしまったけど、世襲議員が増えると、『よくわからんけどチヤホヤされてる議員いるな』って感覚になるんです。それって気持ち悪くない?ってこと。

・『ハッピー』って怖い

他にも気持ち悪い要素はたくさんある。

例えば選挙ポスター。
笑顔すぎ、名前デカすぎ、カラフルすぎ、結局何をする人なのか分からなすぎ。

YouTubeすら早送りで見られる時代だよ?若い人に長い演説聞かせようとか長い公約読ませようなんて、ちゃんちゃらおかしい。

そんで結局『なにやってるかわからん』だけが若者の頭に残っていく。そりゃ興味もへったくれもないよ。

良いことしか言わない、いい顔しかしない、いい表情でしかポスターに映らない。
僕は『あー、これって胡散臭い宗教と同じだ』って思いました。
みんなハッピー!もっと国を良くしようぜ!できるかわからんけど頑張ります!税金使ってハッピー大作戦!
みたいなことですよね?

違ったらすみません。でも、違いが分かるように喋ってないのは政治家の皆さんです。
調べたら数多のことが分かってしまうこの世の中で、分からなかったり不明瞭なことを受け入れられる人は多くない、そう思います。
だからオカルトはオカルトのままなんです。調べても嘘が本当か分からないから。正解か不正解か分からないから。

・失敗したくないんです

人間はわからないものを目の前にすると身構えてしまうと思うんです。
異国の地で食べたことのない料理を前に怖気づく人を幾度となく見てきました。
知らないジャンルの音楽をなんとなく嫌厭してる人を幾度となくみてきました。
だから、目の前で知らん人が知らん話してたら怖いんです。

オカルトもまさにそれ。
そんなのありえないじゃん、みたいにオカルトを否定する人もいるけど、じゃあテメエはフィクション全部見んなよって気持ちです。
ありえるかありえないかじゃなくて、知らないことや未知の領域に興味を持って拓いていくことが楽しいんです。

でもこの考えはあまり一般的では無いみたい。
普通はみんな失敗したくないんです。
だから食べログをみて美味しい店めがけて行列を作るし、転売ヤーに文句を言いつつもみんなが追い求めるものと同じものを手に入れてしまう。

答えがわかっていないと不安でしょうがないんです。"正解"を選びたいんです。

仕方ないよ、義務教育でそう育ったから。
子供の頃から"正解"は1つだったから。
代表的なのでいうと、大学に行ったほうがいい、とか。
当たり前のように言われすぎて忘れがちだけど、別に何も正解じゃないのにね。
ただただ失敗しないように道を狭めた結果なのにね。

だから政治にも正解があると思ってしまう。
じゃあ何が正解なの?と考えることができれば、その人は選挙に行くでしょう。
自身を持って正解に投票すればいいから。

でも、どちらかを選んで失敗するのは怖いんです。
失敗しないことが正解だって教わってきたからね。
だからこそ、今が"失敗"じゃなきゃいいんだと思う。本当にヤバい失敗をしてからじゃ遅いんだけど、そんなの未来の自分に任せたくなるもんね。


・終わりに

探求をやめなければ、惑わされること無く自分の人生を生きていけると思うのだけど、それは案外難しいのかもしれない。
他の誰かが「いいね!」と言ったものに従っておく。その方がラクできるしね。
どこまでいっても他人のトレースで固められた人間で終わるのか、その先の景色を見るのか、どっちがいいのか、その答えは出ません。

でも、政治に関して言えば「生活が良くなると思われる方を選ぶ」だけでいいのだから、もう少し興味を持ってみても良いのでは?とどこかで大声で言ってみたりしたい。

政治も、宗教も、オカルトも、人生も、正解不正解じゃないよ。
自分で選ぶか選ばないか、その2択を悔いなく続けるだけで、人の心は少しずつ豊かになるのかもしれないね。

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