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ランドセルの色から始まった苦しみ

ランドセルの色は今はいろんな色がありますが、わたしが小学校に上がる頃は男の子は黒、女の子は赤がほとんどでした。それでもわたしは親に「何色がいい?」と聞かれて、「紺色」と答えてその通りのランドセルを買ってもらいました。

子どもというのは遠慮がないので、小学校で何回「なんで青なの?」と聞かれたことか!青じゃないし!紺色だし!理由なんかないし!好きな色だからだし!じゃあ逆になんであなたは赤なの?って思ってたけど言い返せませんでした。

言い返す、というのは批判されていると感じたからだと思います。「普通は」女の子なら赤色のランドセルを持つはず、持つべきなのに、わたしはそうではない、おかしいじゃないかと思われているような気がしていました。

それでもみんなと違う、ということが少し快感だったような気もします。わたしはあなたたちとは違う珍しい存在なのよ、という快感です。(かわいくない小学生ですこと!)そこから、自分は特別な(珍しい)存在でありたい、という不健全な願望が芽生えたのかもしれません。

女子高に通っていたとき進路選択で理系を選んだのも、「女子で理系は珍しくてかっこいい」と思ったからです。それだけではありませんが。

思い返すと、なにかの選択をするとき、純粋に自分の気持ちから選んだのは紺色のランドセルが最後だったように思います。

そのあとは周りからどのように見えるか、という視点で選んでいました。

その選択がすべて間違いであったとは思いませんが、少なくとも生きづらさを感じていました。そりゃあ心の声を聞かずに選んでいたら、しんどいですよね。

今はこのことに気付けたので、自分はどうしたいのか、ちゃんと聞いて選択していこうと思います。

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