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YOASOBIの凄さを「創作性」で解説してみる|複数の創作性の融合

YOASOBIさん、Nスタ出たり(8/13木)、関ジャム(昨日)出たり、快進撃中ですね。(関ジャムは見逃してしまい、ぐぬぬ…なのですが)

自分も最近洗脳レベルで聴きすぎているので、思わず文章にしてみました。内容はタイトルどおりですが(著作権法の「創作性」をキーワードに解説)、法律的に大した話は出てきませんので、本記事に有益性は一切ございません(汗)。


著作権法の世界観をちょっと見

著作権法のキー概念は、「創作性」にあるのですが(ざっくりしてるなー笑)、YOASOBIさんを見てると、本当にうまく複数の創作性が結びついてるな、っていう風に映るんですよね(自分の目には)。

ちなみに、著作権法のイメージに少し触れておくと、①具体的な表現レベルでのパクリを防止しつつ(=権利保護の軸)、他方で、②先人や別人の創作性に自分の創作性を乗せていって、また新たな創作物ができる(=自由利用の軸)、そうやって文化が発展していく、というのが著作権法の世界観です。

※具体的な表現レベルでパクりに及ぶと当然違法になります。お勉強的には、「思想・表現二分論」という論点のお話になります。
※上記は個人的な理解であり、学術的に正確な記述ではないですが、ご容赦ください。

創作性というのは、一言でいうと「個性の発露」だと言われていて、たとえば幼稚園の子が書いた絵にも創作性はある、とされています。著作権っていうと、「ライセンスビジネス」という感じで、なんとなくビジネス的なところばかり頭に浮かんでしまいますが、実は、経済的価値とは必ずしも直結した概念ではない、というのが著作物性の面白いところです。

というわけで、「創作性」のキーワードをもとに、YOASOBIの凄さを語ってみたいと思います(←強引)。


3人分の創作性が詰め込まれている

で、結論からいうと、YOASOBIの凄さって、「天才3人分の創作性が詰め込まれている」ことにあると思うんですよね。

YOASOBIの楽曲は、短編小説をベースにしているというのは、Youtubeの概要欄やコメント欄に書かれています。

最初見たときは「へえ〜〜!」と思って、で、小説の方を読んでみると、曲を聞いていて刺さった歌詞が、小説の方に書いてあったりして、
「あっ、この歌詞は作家さん(小説)の方だったのか!」
という新たな驚きがあって、新鮮です。

作家さんの文学的センス。
これを絶妙に歌詞と曲に取り込むAyaseさんのセンス。
これを声に乗せるikuraさんのセンス。

「ぐはっ(吐血)、いったい何人の天才がおるんだー!!」ってなります。

たとえば、個人的に好きなのは、「ハルジオン」のこの部分。

「青すぎる空に 目の奥が沁みた
 あの日の景色に 取りに帰るの
 あなたが好きだといってくれた私を」

…泣ける(ちなみに小説読むと、もういっぺん泣けます)。ここ、「ハルジオン」の原作小説の、ある場面の表現が入っています。

▽原作小説:「それでも、ハッピーエンド」/ 橋爪駿輝


この「3人分の創作性」(=天才3人がかりの創作物であること)が、YOASOBIの凄さだと思うわけです。


従来のものとどう違うのよ?

なお、普通に「作詞家」と、「作曲家」と、「ボーカリスト」がいたら何でも3人分の創作性なんじゃないの?という話もあるかと思いますが、

◯たぶん作家さん(文学のセンス)と作詞家さん(詩のような感じ)のセンスって、またちょっと別なものなのでは?ということとか(←個人の見解です)

◯ikuraさんは、小説を読むことで登場人物の気持ちを解釈していることとか(←先日のNスタ出演時に仰っていた)

というあたり、やはり従来あったものとは異質の創作性を生み出しているのではと思うのです。

動画を見ているだけだとパッと見わからないですけど、作家さんの創作性が効いていると感じます(曲の世界観自体を作家さん(小説)が生み出しているため)。

つまり、こういうイメージ(←個人の見解です)。

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この場合、やはり要(かなめ)となるのは、真ん中にいるAyaseさんです。

また、さらにいうと、動画の方については、映像クリエイターの方の創作性も入っているので、正確にいえば創作性は4人分ですね。


さらに驚愕の事実

目下、ikuraさんの声にどハマり中なわけですが。

さらに、Ayaseさんもボーカリストとしての声がいいという驚愕の事実。

たとえばこれです。(※これはAyase名義の曲で、YOASOBI名義の曲ではないです)

▽夜撫でるメノウ/ Ayase(self cover)


こうなると、2人で歌ってほしい…となるのは半ば必然。

先日、Nスタに出演されていたとき、ikuraさんが可能性はあると仰っていたので、楽しみでしかない。


やはり思い起こされるのは米津さん

で、こういった本来何人か分の創作性が1人に詰め込まれているのが、米津玄師さんなんだと思う。当たりしか入ってない福袋みたいな。

ハチ名義で活動されてたときのYoutubeとか見るとそう感じます。作詞、作曲、作画、動画…全部自分で作っちゃってますもんね。ボカロ曲以降は、ボーカルも。米津名義では、「アイネクライネ」とか、「ゴーゴー幽霊船」とかもそう。

たぶん神様が「あ、このギフト、3人分にするつもりだったのに間違えて1人に全部入れちゃった、テヘペロ☆」ってなったんだと思う。


結び

なお本記事にこれといったオチとかはありません(どハマりを勢いで書いただけの記事です。申し訳ありません)。

ちなみに自分は音楽に詳しいわけでもなく、QuickJapanとか見るようなハイセンスな人でもなく(憧れはありますが)、法律かじった人が流行の音楽を聴いているだけの人です。悪しからず…。


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