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養生訓 巻六 醫を擇ぶ 鳳凰堂流解釈⑲

原文を現代文に改変

藥の病に應ずるに適中あり。偶中あり。適中は良醫の藥、必ず應ずるなり。偶中は庸醫の藥不慮に相應ずるなり。これ其の人に幸ある故に、術は拙なけれども、幸いにして病に應じたるなり。もとより庸醫なれば、相應ぜざる事多し。良藥の適中の藥を用ゆべし。庸醫はたのもしげなし。偶中の藥はあやうし。適中は能射る者の的にあたるが如し。偶中は拙き者の不慮に的に射あつるが如し。

鳳凰堂流意訳

薬が病を治療する際には適切とたまたまがある。

適切は良医の薬であり、必ず反応がある。

たまたまは雇われ医がマニュアルでやっただけだが効果が出たものである。
これはその雇われ医が運が良く、術は拙ないが、偶然効果が出たものである。

雇われ医は元々効果を出していないことが多い。

良薬の中でピッタリ合う薬を使うべきである。雇われ医はその点不安があり、偶然効果が出た薬はそれ自体が怪しい。

ピッタリ合うものは元々適中率が高い人が使うので、良く当たる弓の使い手が的を射るようなものである。

たまたま当たるのは下手くそが不意に当ててしまったようなものである。

鳳凰堂流解釈

日頃の研鑽の結果は、誰が見ていなくとも、実力として徐々に現れてきます。

陽に当たるかどうかより、目の前の人を治療する為に日々何をしているかが問われます。

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