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養生訓巻第一 貝原篤信篇録 総論上 ⑪ 鳳凰堂流解釈


[原文を現代文に改変]
健康を維持し生を養う為の一字の要訣がある。

これを行えば、生命を長く保ち病とならない。

親に孝あり、君に忠あり、家を保ち、身を保つ、行う事として良くない事はない。

その一字とは畏と言う字である。

畏れるとは身を守る心法である。

事あるごとに心を小さくして氣にまかせず、やり過ぎないようにし、常に天道を畏れて慎み従い、人の欲を畏れて慎み忍ぶことにある。

畏れるは慎みに意識を置くための初めとなるものである。

畏れれば慎みが生じる。

畏れざれば慎みなし。

このような理由から朱子は晩年に敬の字を解釈して敬は畏の字に近いものだといったのである。

鳳凰堂流解釈
時代背景なのか、御典医は武家に属す由縁か、はたまた現代文明、科学に目を眩まされているのか、現代では畏れや慎みよりも如何に行動するかが持てはやされます。

人の欲を最大限に出そうとしている姿です。

行動は大事ですが、同時に慎みも大事。

人はついつい行動(思考も含む)しすぎる為、戒め、慎むように言っていますが、要は欲を出す時と抑える時を見極める心だと鳳凰堂は考えています。

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