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(3)医心方 巻二十七 養生篇 養形第三 鳳凰堂流解釈


養生要集からの引用です。

青牛道士は「人は安楽を望んではいけない。楽をしている人は、寿命を長く保てない。ただし強健であっても自分の気力以上の事をしてはいけない」と言っていると。


 重いものを持ち上げたり、強く引っ張ったり、地を掘ったり、物事を疲れるほどやって休息しなければ、筋骨は疲れ果てるだけで回復できない。

 しかし、労苦が多いのは、遊んで楽しみに更けることよりも良い事ではある。

 朝から晩まで仕事があって、足を休ませなければ気持ちがよい。しかし、疲れてしまったと感じたら、休息すること。

休んだ後で又仕事をすれば、導引(呼吸法)をやっているのと同じである。流れている水が汚れず、戸枢が腐らないのは、いつも動いているからである。

鳳凰堂はこの考え方には賛成です。

生まれ出でた限り、動く為、天空に輝く為に生きています。

何事もやりすぎは禁物ですが、動かなければまた錆び付きます。

又次のようにも書いています。

中経の説には、「人は毎日しばしば鏡を覗こうとする。これを「存形」と呼ぶ。

形は精神と共に存在するので、鏡に映るのである。

形があっても心が共に無ければ鏡に映った自分を認識できないし、

魂魄だけでは鏡に映らない。つまり、鏡に映すというのは自己の存在確認、自己認識である。

それなのに、自分の容色だけを愛し、それに執着して鏡を見るのは鏡を見ないよりも悪い。」

鳳凰堂は外と内の問題として考えます。

命の輝きは内から発するもの。

いくら外を磨いても、内からの輝きがなければ光が外を照らすことはありません。

養生は、使い方とケアだけでなく、どこに重点を置くかも大切で、

1、自身の心を磨く(他者との関係を丸くする)

2、自身とは違う考えを笑顔で受け入れる

3、そこから学び変化する

4、内から発する輝きを曇らせない為に外を磨く

と言う順番も大切だと考えます。

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