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養生訓巻第一貝原篤信篇録 総論上 ⑥ 鳳凰堂解釈


老子は、人の命は自分の努力(人事)が主体であり、天運が主体ではないと言っている。

人の命はもともと天地自然の気を受けて生まれついたものだが養生をよくすれば長生きし、養生しなげれば短い。

そう考えると長命なのも短命なのも、自分次第だからである。

身体が強く長命に生まれついた人も、養生の術がなければ早世する。

虚弱で短命に終わると見える人も、保養すれば長命となる。

これらは全てそれぞれの人の努力であると考えると、天運は関係ないとも言える。

もし大変寿命が短く生まれついた顔子などのような人でなければ、自分のセルフケアだけで長生すると言う理屈である。

例えば、火を起こした後、土塀等で覆えば長く持つが、風が吹いているところに置けばすぐ消える。

みかんを放って置けば、1年も保たないが、冷暗所でうまく保存すれば夏まで保つようなものである。

鳳凰堂流解釈
養生、セルフケアの大切さは良く分かりますが、老子については熟考されていないのが残念です。

老子は人の今の命だけでなく、徳や気について水のように変化し、受け入れ、また曲げないところは決して曲げない志等を伝えており、

その良悪美醜についても、ただ人が決めているだけで、そこは超越しています。

つまり、養生の観点が貝原益軒よりも数段高みにあり、黄帝内経も老子に近い観点を持っています。

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