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養生訓 巻六 醫を擇ぶ 鳳凰堂流解釈⑫


原文を現代文に改変

醫となる人は、まず志を立て、広く人を救い助くるに、まことの心を旨とし、病人の貴賤によらず、治を施すべし。

是醫となる人の本意なり。

その道明らかに、術くわしくなれば、われより強いて人に照らい、世に求めざれども、おのずから人にかしずき用いられて、幸いを得る事限りなかるべし。

もし只我が利養を求むるが為のみにて、人を救う志なくば、仁術の本意を失いて、天道神明の冥加あるべからず。

鳳凰堂流意訳

医療に携わる人は、まず志を立て、広く人を救い助ける際には、誠実な心を旨とし、病人の貴賤によらず、治療を施す事。

これ医となる人が本来学ぶべきものである。

医道が明らかになり、術に熟練し、知識も深くなれば、自分からわざわざ名前を出して世の中に評価を求めなくても自然に人から求められ、幸いを得る可能性が高い。

もしただ自分の利益ばかりを求め、人を救う志がなければ、仁術の本意を失い、天道神明の見えない御加護は得られないだろう。


鳳凰堂流解釈

仕事、学問等に共通する事。

先ずは目標を立て、覚える。

次に何度も実行し慣れる。

慣れれば、熟練し自信がつき、責任感が生じる。

目標を達成したら、次の大きな目標を立てる。

ここに他人への愛、惻隠の心が加わると、医に携わる資格があると言え、

このような誠実さ真面目さ、優しさを持ちながら一意専心していると、神仏の御加護が得られる事は当然です。

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