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養生訓 巻六 醫を擇ぶ 鳳凰堂流解釈㉙

原文を現代文に改変

或曰く、病あって治せず、常に中醫を得ると言える、道理誠にしかるべし。

然らば病あらば只上醫の藥を服すべし。中下の醫の藥は服すべからず。今時上醫は有がたし、多くは中下醫なるべし。

藥を飲まずんば醫は無用の物なるべしと云う。答えて曰く、しからず、病あってすべて治せず。藥を飲むべからずというは、寒熱虚實など、凡そ病の相似てまぎらわしくうたがわしき、難しき病を言えり。

淺薄なる治しやすき症は、下醫といえどもよく治す。感冒、咳嗽に參蘇飲、風邪發散するに香蘇散、敗毒散、蘇香正氣散、食滞に平胃散、香砂平胃散、かようの類はまぎれなくうたがわしからざる病なれば、下醫も治しやすし。藥を服して害なかるべし。

右の症も藥しるしなき、むずかしき病ならば藥を用いずして可なり。

鳳凰堂流意訳

病にあっても治療せず、常に中医を得ると言うのは道理にとても適っている。

病になればただ上医の薬を服用すべきである。中下の医の薬は服用してはいけない。今時上医は少なく、多くは中下医である。

薬を飲まなければ医療は無用だと言われるが、その答えはそうではない。病になってもすべて治療するものではないのである。

薬を飲むなと言うのは寒熱虚実など、凡そ病が似てまぎらわしくうたがわしい、難しい病について言っているのである。

淺薄で治しやすい症状は下医であっても良く治療できる。

感冒、咳嗽には參蘇飲、風邪を発散するには香蘇散、敗毒散、蘇香正氣散、

食滞には平胃散、香砂平胃散、このようなものの類は間違いなく疑わしいこともない病であるので下医も治しやすい。薬を服用しても害がない。

上記の症状であっても薬の効果がなく、難しい病であれば薬を用いない方が良い。

鳳凰堂流解釈

医を選ぶと言う項の最後には、薬と医師、医術のレベルによっては時間経過による自然治癒が優る事を暗喩しています。

下手に足し算するよりも引き算した方が良い場合が多く、足し算に慣れると身体も心も物足りなく感じ、病になりやすくなります。

養生訓 巻六 醫を擇ぶ 終

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