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老子道徳経と中医学的身体観五十六

副題 玄徳

玄徳だけでなく、徳は本来見えないものなので、身体に落とし込むのは微妙ですが、、、

中医学的身体観としては、

型(形)の修練過程は、守、破、離、

気の修練過程は身体(形)、心(気)を呼吸(間)で調和させるもの。

同じ事を異なるテーマで行っている(武や踊等なのか、医や生活なのか)為、違うように見えるが全て原理原則は同じ事を示しています。


鳳凰堂流解釈

道は人によって多種多様。

原理原則はあっても、その人が歩む道によって見え方が違うので徒に限定すると、借り物の型になってしまい、その人が考えなくなるので軽々しく言葉にする事はできない。

この章は秀逸なだけでなく、周易の六十四卦に表される、兌為沢、地火明夷、雷水解等が暗喩として用いられていると考える。


鳳凰堂流意訳

道を知る人は言わず、言う人は道を分かっていない。

目、耳、鼻、口など(知識の入る)穴を塞ぎ、門を閉ざして鋭い切っ先を表すことなく、いろいろな世間のもつれをといて、その輝きを和らげながら、塵の中に混じっている。こういうものを『玄同』(道)という。

これを持つ人には気易く近づけないし、遠ざかり疎んじることも出来ない。

利益を得させてもいけないし、損害をかぶらせてもいけない。むやみに彼を尊ぶこともいけないし、彼を卑しめることも出来ない。こういう人だからこそ、天下の人から尊敬されるのだ。

直訳
知る者は言わず、言う者は知らず。その兌(たい)を塞ぎ、その門を閉じ、その鋭を挫き、その紛(ふん)を解き、その光を和し、その塵に同じくす。これを玄同(げんどう)と謂う。故に得て親しむべからず、また得て疏(うと)んずべからず。得て利すべからず、また得て害すべからず。得て貴ぶべからず、また得て賤(いや)しむべからず。故に天下の貴きとなる。


原文
知者不言、言者不知。塞其兌、閉其門、挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。是謂玄同。故不可得而親、亦不可得而疏。不可得而利、亦不可得而害。不可得而貴、亦不可得而賤。故爲天下貴。

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