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『人生って、必ず終わるじゃん。しかも繰り返せないじゃん。

だから意味ないじゃん』


もう10年くらい前のことか。正月に実家に帰ったとき、年の離れたいとこに突如言われた。陽だまりの縁側。彼女は高校生になったばかりだった。立った時はひざ丈の彼女の制服のスカートも、床にぺたりとおしりをつけて座っているので、ふともものあたりまですりあがっていた。

その白い太ももを見ながら、わたしは前日の夜に食べたブリの塩焼きを思い出していた。あのブリは、表面はこんがり焼けていたけれど、中はしっとりとしていてジューシーで、そして真っ白だった。



『ねえ、どう思う?』と彼女は重ねて聞く。
わたしは少し考えたのちに、『ここで一つ、人生の先輩ならではのいいことを教えてあげる』と言ってみる。
彼女は真剣な目をしてこちらを見つめる。


『”じゃん”は、実は三河弁なんだよ。標準語じゃなくて』
彼女は小さく息を吐く。わざとらしく。
『ふざけるのはやめて』
『ふざけてなんかいない。何気なく使っている”じゃん”が方言であるということ。とっても大事なことだよ』
『そうやってふざけてばっかりいると、まじめなこと言えなくなっちゃうよ』
ふふん、とわたしは鼻で笑う。
『とっくの昔からそうなってるよ』
『そして開き直ってばかりいると、本当のことが言えなくなっちゃうよ』
一瞬沈黙が降りる。もう一度わたしは彼女のふとももを見つめる。ぷりぷりのブリ。
『ねえ、どう思うわけ』と彼女はもう一度重ねて聞く。
『まあ、無意味だろうね。きみの言う通り』と今度は素直に答える。
『やっぱそうなんだぁ』
彼女は大変な事実を発見してしまった、とでも言わん口ぶりだった。
『そうなんだよ、実はね』
『そっか』
『でも大事なことは、それでも人は生きないといけない。わたしもきみも。希望をもって、あきらめずに。日々をいつくしんで。周囲の人を愛して』
『愛されるにはどうしたらいいの?』
『愛するんだよ。愛されるのではなく』
ぶりが焼ける音が、頭のなかに響く。


彼女が口を開こうとしたとき、居間の方から、酔っぱらった叔父さんが彼女を呼ぶ声が聞こえた。彼女はそっちの方をちらりと見る。露骨にいやそうな顔をする。でも何も言わず、すぐにまたわたしの顔を見つめた。

『ニーチェでも読んでみたら?』とわたしは言ってみる。
『読めばわかるの?』
『うん、わかるよ。わたしから伝えるよりも、よっぽど正確にわかる』
『ふうん』
『ありとあらゆる凡人の悩みは、基本的にはすべて昔の偉人によって解決されている、んだよ』
もちろんわたしは、ニーチェなんて呼んだことなかった。タスタストラはこういった、だっけ? ++虎?
もう一度居間から、叔父さんが彼女を呼ぶ声が聞こえた。またちょっといやそうな顔をしながら、いまいくぅ、と彼女も叫び返しな立ち上がった。ひらりとスカートが舞い、落ちた。彼女の白い太ももは、その布切れの下に隠された。

『ちょっと行ってくるね』と言って、すたすたと彼女は去っていった。わたしはごろりと縁側に寝転がると、ブリの塩焼きのことを再度思い出した。ぷりぷりで、ジューシーで、白い、ブリの塩焼き。たくさんの大根おろしを添えて。

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