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形而上学を回避するプラグマティズム:ジョン・デューイ本連載⑥
哲学者、ジョン・デューイを読み解き、プラグマティズムに入門していく #デューイ連載 、今回は第6回目です。
前回はこちら。それ以前は上記のハッシュタグで辿れます。
前回は、哲学を読み換え、書き換えるデューイの実践を、「道徳」という領域において確認しました。
さて、今回はそういうデューイの哲学観を、「形而上学」という言葉を使って説明し直してみたいと思います。
形而上学を回避する哲学
デューイが近代科学の影響下で哲学を書き換えようとしてきたということをこれまで確認してきた。それによって見える景色のことをデューイはこう言語化している。
近代の哲学的思考は、認識論のパズル、実在論と観念論、現象主義と絶対主義の間の論争にあまりに夢中になっているので、叡智界と現象界を区別する形而上学的課題、個々の主体が独立の客体をいかにして知りうるかを理解する認識論的課題がなくなったら、哲学には何が残されるのかわからなくて、多くの学者は途方に暮れている。しかし、こういう伝統的な諸問題が取り除かれたら、哲学はもっと実りがあり、もっと必要とされる仕事に打ち込めるのではないか。(71=134)
「認識論のパズル」、「実在論と観念論、現象主義と絶対主義の間の論争」、「叡智界と現象界」などの箇所は、その内容について詳しくイメージできる必要はない。連載①で見たような「手の込んだ用語法の展覧会、細々とした論理、包括的な論証や微細な論証」が多い領域だと思えば十分だ。
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