【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ⑲2 「みたらし」と「たたし」その② <105号 令和元年10月>
既に、心ある読者にはお気づきの事かと存じますが、
『せみの小川に ミソギして 茅の輪に糺す』の歌は、
ミホヒコ子守神の称え名が贈られた場面にちなむ歌であり、ホツマ伝承では、今の下鴨神社の地を直に指すとは確定できません。ホツマに「タタス森」の用例はありません。
ですが、下鴨神社の森を「糺森」と呼称した名付け親は、「禊ぎの川」が存在するからこそ、その地を「糺すの森」と名付けたわけです。
ウガヤ(カモヒト)は、老朽化した多賀の宮を改修して、瑞穂の宮からここに都を遷しましたが、現存の多賀大社の元宮に「調宮神社」があり、その脇を「芹川」(せみの訛伝か)が流れています。この地は子守神とも所縁があります。後にウガヤが、コモリの孫に当たるタマヨリ姫を召すに至り、下賀茂の地=河合の森=出雲路の森=高野の森を「糺すの森」と(誰かが)見立てた、と考えると小川ならぬ大河物語が、読み解けそうです。
(辞解の本題に戻りまして)
「糺す」(森)の本源は、「禊ぎ」(の川)にあり、その源流は、「タラシ(足らし/垂らし=御手洗)」にある、それが、筆者の解釈です。
即ち、君たるものは、もっとも心がけなければならないのは、「民をタラシているかどうか」であります。天から下々をゐやすく(安寧に)満たしているか、常に自省して、至らぬ心境の時にはミソギを修し、自身をタタス(糺す)ことが肝要ですよ、と云う教ゑが、ここに込められているのです。
ここで、本稿の冒頭のご意見に立ち返りますと、11アヤで、大御神が皇嗣ヲシホミミに諭された
「常のよさしもミタタシぞ」
とは、天下万民を満ち足らしているか常に我が身を糺しなさいよ、という(重層的な意味をもつ)教諭であったと解釈出来るわけです。
ひるがえって、民の立場からその大御心を拝する時、そこには感謝と奉公の念がうまれます。大いなる君が、私たち下々の民の営みに心を配り、案じて下さっている、ありがたいことだ、と。ついては、大君の大御心を祓いきよめた聖なる清水の下流(鴨川)において、その恵みを拝受し、祈りを捧げるとともに、ご奉公に邁進したい、こう考えたのでしょう。
御手洗の泉からわき出る小川の下流。河床で夕涼む京都人の風情ある光景は、連綿と続く君民の絆から生まれたと思うと、ありがたさに和みますね。
(駒形「ほつまつたゑ解読ガイド」参照)
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「みたらし」シリーズの最終回。
「みたらし団子」や「お手洗い」など(!)身近な言葉の奥底に、神々と臣民を結ぶ大切な教えが込められていたなんて、ホツマツタヱを読まなければ知ることがありませんでした。ありがたいですね。
私たちを大御宝と慈しんで下さるご皇室を戴くことは、私たち日本人の喜びであり、誇りです。
この度の都知事選挙は、まったくどんちゃん騒ぎで、内容の薄いドタバタ劇でしたが、こんな安穏が許されているのは、伝統が築き上げた礎があるからなのでしょう。でも、いつまで許されるのでしょうか、、、
廃村、行ってみたいな