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【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉖「あさま」と「たかち」 <111号 令和2年10月>

伊勢二見ヶ浦の夫婦岩では夏至の朝に富士山の山頂から昇る朝日を遙拝することが出来ます。旭日の光が指し示す聖線(これは冬至に沈む夕陽が目指す方角です)は、熊野や四国をかすめて、宮崎(日向国)に向かいます。つまり太陽が極まる日に富士の高嶺と日向の高千穂峰は向かい合っているわけです。

『ソヲ高千穂の 日に辞む 朝はアサマの 日に向ふ 日向ふ国と ホツマ国 姫はアサマに 辞む月 タカチネに入り 神となる アサマの神や コヤス神 かねてあう日の  稜威の神 高千穂のネの 神となる 鳴る神わけて 土活かす ワケイカツチの スヘラカミ』26文

 これは、ニニキネ神とコノハナサクヤ姫神の神上がり(崩御)を物語った壮大なる描写であり、ヲメが日と月となり寄り添う世にも美しい日本の神話です。

 三つ子を育てたアシツ姫は、「子安神」と称えられ、崩御のときに「あさま神」と尊称され、浅間と漢字表記され、後世には仙元大神と称えられます。

 「あさま」は、しかし「朝間」の原意があります。これは、ニニキネの富士山麓開墾の事蹟の手際良さを称えたものであり、24綾に、

『朝の間に 中峰なせは 神の名も ヰツアサマ峰』とあります。高峰を「あさま峰」と名付けています。

『君サカオリの 造る名も ハラアサマ宮』ホ24

とあるようにニニキネ神は富士山麓に再建した宮の名を「あさま宮」と命名しております。この故に、(豊受神といえば「あさひ/朝日神/朝日宮」であるように)民の認識としては「あさひ=稜威=ニニキネ」と云う捉え方も深く根付いているのです。

 つまり、「あさま」は、夫婦二神でもあるのです。

 「たかち」は漢字では「高千」と表記されますが、根本的な意味は「高い靈」であります。と同時に、「たかちほ/高千穂」は、「偉大なる/開墾(千穂)事業」の意味と、後世を長く(千穂)潤す神徳の意味と、あるいは、その象徴としての「高靈炎」すなわち「活火山」を表現しているのかも知れません。「たかちね」の「ネ」は、「峰のネ」なのか「北のネ」なのか「根のネ」なのか、熟読を要するところがあると思います。

 ところで、貴船神社に祭られる「たかおかみ/高龗神」とは、『ほつまつたゑ』に根拠は記述がありませんが、筆者は、「龍神をも順わせる高靈神」を意味し、ニニキネ大神を指す神格と考えています。つまり「高尾山」の「たかお」もニニキネです。「愛鷹山」は、アシツ姫とタカオ神の所縁の山と考えるとどうでしょう。

(駒形「ほつまつたゑ解読ガイド」参照)

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 ニニキネは、その奥津城を九州高千穂の地に選びました。
「 稜威の神 高千穂のネの 神となる」ホ26の「タカチホのネ」は、重層的に味わうことの出来る表現です。愛する正后であるコノハナサクヤ姫と伊勢を挟んで向き合うという位置関係で結ばれています。
 アサマ神とは、浅間神であり、コノハナサクヤ姫であると理解されているのですが、「ツクバ神」がイサナギ・イサナミの妻夫神であるように、アサマ神は、妻夫神であると読み解くことも大切です。(そもそも、「イセの神」は、アマテル大御神とムカツ姫瀬織津神、なのですから)

 話は、飛びますが、
 ニニキネが、九州の地を奥津城に定めたことが、後の世になって「瓊瓊杵尊は九州に天孫降臨した。九州の地から出たのは、神武天皇だった」「瓊瓊杵尊はシナ大陸・コリア半島からの渡来者だった」「瓊瓊杵も神武も渡来征服者だった」というこじつけに繋がってしまいます。皇室渡来説に変質されてしまうのです。
 はやく、その曲解から抜け出る必要がありますね。


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